11 12/06 UPDATE
作り物かと思うほど、現実味のない写真でとらえられた室内。操作盤のような機器類や一時代前の電話機が並んでいるけれど、それらを操作する人はいない。これらの写真はポルトガルで1920年代から70年代に建設された水力発電所の機械室を撮ったもの。ポルトガルの電力会社の依頼でエドガー・マーティンスが撮影したものだ。1977年ポルトガル出身の彼は現在、ロンドンを拠点に活躍する写真家。夜間にひと気のない建物などを撮ったシリーズで知られる。山本現代での個展で展示されている写真は約2年がかりで撮影した、およそ20の水力発電所の写真の一部だ。すみずみまでピントがあった画面は8×10という大型カメラで撮られている。
「機械室の写真はここ半世紀の社会や経済の変化を如実に反映している。あらゆるディテールまで鮮明に写り込んだ写真はさまざまな欲望や政治的なイデオロギーをあぶり出す。かつて水力発電所には200人、300人もの人々が働いていたけれど、機械化が進んで今では1人か2人しかいないところもある。それは機械と人間とがともに協力して働く、近未来の楽観的なユートピアを象徴する場所だった。1950年代~60年代にはSF映画のロケ地になった発電所もある。でも今では機械が人間を追い出してしまった。そのパラドックスが象徴的に現れている」
このシリーズでは大型カメラで暗いところを撮影するため、長時間露光になる。写真は常に無人だけれど、それは長い露光時間の間にぶれて、写らなくなってしまうからでもある。
「人を写さないのはもう一つ理由があって、作品を見る人がイメージを投影できる空白のキャンバスにしておきたいから。人が写っていると画面がいろいろなことを語ってしまう。左右対称の構成が多いのはジャック・ラカンの鏡像段階(幼児が鏡に映る自分の姿を見ることで自己を認識していくという説)を引用したもの。僕なりのドキュメンタリーの方法論なんだ」
でき上がった写真ではまばゆい照明に照らされているように見えるものもあるけれど、実際は真っ暗な中、数時間も露光して撮った写真もある。
「ドキュメンタリーだけれど戦場などに出かけていくスナップ主体のフォトジャーナリストとはちょっと違っていて、撮る前のリサーチにすごく時間をかけている。撮影ではコントロールできない要素が多いからときに予想もしない仕上がりになって、自分でも驚くことがあるよ。暗闇の中で何時間もシャッターが降りるのを待っていると、瞑想しているような気分になることもある。僕の写真にはそんな瞑想の軌跡も写り込んでいるのかもしれない」
エネルギー問題がさまざまな形で注目されている今、マーティンズの水力発電所の写真にそれまでとは少し違う意味を感じる人もいるかもしれない。
「難しい時代だからこそ、この写真を見てもらいたいと思った。このシリーズに登場する水力発電所が示したユートピアは現実にはならなかった。世界中、あらゆる場所において近代と資本主義が行き詰まったことがはっきりした今という状況を反映したものにもなったと思う」
何かが間違っていたのならそれを一度、リセットしなくてはならない。でも私たちにその勇気があるだろうか。整然とした室内に過去の希望が残り香のように漂う写真が、そう問いかけてくるようにも思える。
text:Naoko Aono
エドガー・マーティンズ 個展
「The Time Machine: An Incomplete and Semi-Objective Survey of Hydropower Stations」
開催中~12月17日
山本現代
東京都港区白金3-1-15-3F
tel: 03-6383-0626
11時~19時
日・月・祝休
Alto Lindoso power station: control room (frontal view)
2011
Bemposta power station: machine hall
2011
緑とピンクのホール
Raiva power station: hydropower panel in the control room
2011
※サーバールームのような空間の制御ボックス
Courtesy of the artist and YAMAMOTO GENDAI