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白隠展 HAKUIN

白隠展 HAKUIN

脱力系の絵に学ぶ、白隠の禅の教え

13 1/08 UPDATE

白隠慧鶴(はくいんえかく)は臨済宗中興の祖である江戸時代中期の禅僧。彼は絵解きや文章で禅の教えをわかりやすく描いた「禅画」を大量に残した。その数は現存するだけで約1万点と言われている。ということは残っていないものも含め、数万点を書いた可能性もあるわけだ。白隠はそれらの禅画を惜しみなく人々に与えていた。しかも庶民から大名までわけへだてなく、だ。今、その白隠の禅画を集めた展覧会が開かれている。全国の寺社や個人が所蔵する作品がこれだけ集まる機会はそうない。その中から、寄る辺無き衆生である我々が学べることをいくつかあげてみよう。

「人生60歳から」
80余年で没するまでの彼の作品で年代がわかるものを追っていくと、30代、40代ではまだ線に硬さが目立ち、迷いや怖れが線に現れているように感じられる。彼が本領を発揮するのは60代になってから。このころから大量に書画を描くようになり、70代、80代と歳をとるごとに自由奔放な線が躍る。融通無碍な絵が見るものの心をゆるめてくれる。42歳で大悟(完全な悟りを開くこと)したとされる白隠だが、書画において彼が本当に悟りを開いたのは60歳を過ぎてから、と言えるのかもしれない。

「地獄も極楽も表裏一体。」
太い筆で「南無地獄大菩薩」と大書された書。「南無」のあとには普通ありがたい言葉が入るのにここでは「地獄」と続く。地獄も極楽も表裏一体であり、同じ物事でも見方によってよくも悪くもとれる、ということを現している。

「自らの中にいる仏を見出せ。」
白隠の作品の中でももっとも有名なもののひとつ、「半身達磨」(萬壽寺蔵)には「自らの心を真っ直ぐにみつめ、その中にもともと宿っている仏性に気づくべし」という意味の賛(絵に添える文章)が書かれている。人は成長して仏になるのではない。子供の頃は仏のように純粋な心を持っていたのに、大人になるにつれていろんなものにまみれて仏性を忘れてしまう。余計なものをそぎ落として自らの中に眠っている仏を見つけ出すことが悟りへの道なのだ。

「机にかじりついていないで、街へ出よ。」
白隠は吉田兼好が嫌いだった。兼好を「猿候(エテコウ)」とあてこすり、猿の姿で描いた絵が残っている。「日暮らし硯にむかひて」とおとなしく机に向かっている彼が気に入らなかったらしい。白隠は積極的に街に出て、人々と交わることを勧めた。「動中の工夫は静中に勝ること百千億倍」(隠遁するのではなくいつも人々の周りを動き回れ)という書が残っている。

「細かいことは気にしない。」
白隠の絵には下書きの線が残っていることがよくある。しかも頭が下書きより大きくなっていたり、書でも始めの勢いがよすぎて最後の文字が紙に入り切らず、寸詰まりになっていることも。教えを伝えることが最優先であって、きれいに描こうなどと考えるのは自分のエゴに過ぎない、とでも言いたげだ。

展覧会に並ぶ書画は約100点。上記の他にも学べることはたくさんある。しかも絵はどこか力の脱けた、笑いがこぼれてくるものが多い。余計な力を入れないことも悟りの方法の一つだ。ゆるゆると微笑みながら禅の心に近づける。

text: Naoko Aono

『白隠展 HAKUIN 禅画に込めたメッセージ』
~2013年2月24日

Bunkamuraザ・ミュージアム
東京都渋谷区道玄坂2−14−1
10時~19時(金・土~21時)
tel: 03-5777-8600(ハローダイヤル)
http://www.bunkamura.co.jp/


1白隠慧鶴 《半身達磨》 萬壽寺蔵 (大分県)
2白隠慧鶴 《百寿福禄寿》 普賢寺蔵 (山口県)
3白隠慧鶴 《南無地獄大菩薩》 個人蔵