09 12/28 UPDATE
近年、60年代から70年代の日本人写真家の作品集が、国際的に高値で取り引きされているのだという。元来、「日本製の写真集」というものは、ハイ・クオリティの代名詞でもあった。印刷製本技術の高さゆえのことだ。そんな「媒体」の上で、思う存分「アート」を展開した日本人写真家の群像を、豊富なテキストやインタヴューで紹介していった労作が本書。写真集を軸として、日本人写真家と、彼らが相克した社会との関連性を追っていった、骨太な芸術文化史がここにある。
という一冊なのだが、読者としてなにより嬉しいのは、「図版が多数」だということだ! 本書に収録され、紹介されている写真集をぜんぶ古書店で買ったら、一体幾らになることか! ウルトラ・レアな名作が次から次へと、いやほんと、次から次へと登場してゆく様は圧巻の一言。写真家の顔ぶれは、濱谷浩、石元泰博、土門拳、小島一郎、桑原史成、それからもちろん篠山紀信、荒木経惟、森山大道、木村伊兵衛......まだまだ多数。間違いなくこれは、お得な一冊です。すごい本です。
これは個人的な嗜好性からくる問題なのかもしれないが、僕は90年代以降の「のっぺりした」写真が好きではない。コントラストが平板で、蛍光灯のような光(や、あからさまに人為的な『きれいな自然光』調)で切り取られた「日常感」とやらには、生理的反撥感をおぼえる。そして、そうしたものとはまさに真逆にあるような写真と写真集が、本書には大量に収録されている。深い陰影、つらぬいてくる白目、木彫り像のような農村の老人のしわ......ああ、日本人とは、こういう顔をしていたんだ、日本の風景とは、ほんのすこし前までは、こうだったんだ──そんな感想を抱かせられる質感と重量感に満ちた「アート」。または「ヌード」が反体制の象徴だった時代の、挑戦的な女性美......若き日の巨匠たちが、まさに鬼となって刻印したこれらの作品集は、写真がかぎりなくカジュアルになった現代だからこそ、振り返ってみる意味があるはずだ。とらえなおすだけの価値があるはずだ。僕らはこの歴史の上に生きている。
Text:Daisuke Kawasaki(beikoku-ongaku)
『日本写真集史 1956-1986』
金子隆一 アイヴァン・ヴァルタニアン 著
和田京子 編集・翻訳
(赤々舎)
3,990円[税込]