10 11/05 UPDATE
巻頭の口絵にならぶ名器を見ただけで、「ああ......」と嘆息する人、「お世話になりました」と頭を垂れてしまう人も多いのではないか。本書はギター設計家として高名な著者が、自らの「ギター史」を振り返りつつ、「日本におけるギター制作の歴史」ぜんたいを見渡していく、というアウトラインから、読み終わるころには、「おれはギターのことがすべてわかった!」と言いたくなるほどの蘊蓄を手にすることができる、そんな見事な回顧録である。
クラシック、アコースティック、エレクトリック、それぞれのギターの歴史、楽器の構造、スタンダードとなった名器は、なにがすぐれているのか、「木が命」とはどういうことなのか......こうした話題が「作り手の側」から、現場で数多く目撃してきた事例から、わかりやすく説明されていくところは、第一級の「ギター教科書」だとまず言える。それは同時に、こういう事実をも指している。「日本のギター制作技術」が、いかに優秀なものだったのか──そこが読みどころの第二だ。
ベンチャーズによる第一次エレキブームのころに少年期をすごした著者は、ヤマハに入社。その後、独立して、グレコ、フェルナンデス、モーリスほか、数々のブランドで設計を担当。一世を風靡した「日本初のギター・プロショップ」ESPを設立、PACOを設立、そして自らの社名をVestaxに変更して、DJ機材でも世界を席巻......というこの華麗な略歴の背景にあったのが、「日本のものづくり」技術と技能の高さ、職人の腕のよさだった、というところは、あらゆる製造業に共通する示唆に富んでいるのではないか。かつては欧米のギター・ブランドのOEMを数多くこなしていた日本のメーカー、そこにいた職人たちの腕と矜持こそ、日本の誇りの核心だったということがわかる。品質を落としてしまった米国のフェンダー社とギブソン社が、相次いで著者に「インスペクション(検品精査)」を依頼してくる、というくだり、また、ジャズ・ギターの名門「ディ・アンジェリコ」が著者に「ブランドを守ってくれ」と製造を一任してくるくだりなど、「誠実かつ高精度のものづくり」こそが国際共通語となる、という一例だといえるだろう。
現在の日本ではどうもそこが曲解されて、クルマでも家電でも、毎年多くの「使い捨て」のモノばかりを作って、それを大量に国内外で流通させることが「ものづくり大国」の証明だとされているふしがある。地球にやさしくなければ、ないほど、おカネが儲かる、とされているふしがある。しかし本書には、すくなくともギターにかんしてなら、100年後にも通用する名器を生み出すために「なにがだいじなのか」その初歩の初歩が具体的に解き示されている。そして、モノがギターなだけに、「いいヴィンテージなら、古くなればなるほど、枯れたいい音が鳴る」──というのは、なんだかとてもいい話だと、思いませんか?
text:Daisuke Kawasaki(Beikoku-Ongaku)
「僕らが作ったギターの名器」
椎野秀聰・著
(文春新書)
893円[税込]