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故リンダ・マッカートニーの写真集が本書である。彼女がロック・フォトグラファーとして活躍していた時代、つまり60年代後半から、ポール・マッカートニーと結婚し、ウイングスの一員として音楽活動をしていくようになる時代までのレトロスペクティヴとして見ていくことができる構成となっている。つまり、写真家としての彼女と、スーパースターと結婚して子をもうけた女性としての彼女、そして、「ウイングス」と夫と子とともに、70年代を駆け抜けていった彼女の足跡を記録したものが本書だと言える。
これら三つの「彼女」があらわれた写真のうち、僕は三つめのそれを一番強く好んだ。とくに、家族で遊んでいるような写真がいい。これらの写真を見るたびに僕が感じるのは──どうかしているとは自分でも思うのだが──僕自身がポールとリンダの子供の一員となって、これらの写真のなかにまじっていたかった、という馬鹿げた妄想だ。とくに、アルバム『ラム』から、ウィングス初期の作品が生み出されたころ。まるで夢のようにはかなくも美しい「ロックンロール父さん母さん」と子供たちの姿が本当にあった、ということが記録された写真が、本書には収録されている。
写真家としてのリンダ・マッカートニーは、芸術的な意味でカッティング・エッジだった人ではない。対象人物の内面性を引きずり出すこともなければ、作り込んだショットで被写体のパブリック・イメージを決定づける、という人でもなかった。ただただ彼女は、見る者に「あたかも自分がそこにいるような」共感をおこさせる写真を撮りつづけた。ストーンズも、クラプトンも、ジミヘンも、まったくなんの距離感もなく、警戒心もなく、リンダのファインダーに向かって「よう、元気?」と語りかけているかのような、親密な空気がそこには定着させられていて、それが我々にも伝染したのだろう。
それはたとえば、(本書にも協力している)アーニー・リボヴィッツとは、まったく逆の特性だと言える。また、誤解をおそれずに言えば「リンダのように」ミュージシャンの近くに立って、親密な写真を撮るというタイプの写真家は世に多い。小さなサークルのなかの、小さな親密さを、撮るのだ。かつて僕は、自分が発行していた雑誌『米国音楽』で、何人かの女性フォトグラファーと仕事をした際、「リンダのように」写真を撮ってもらいたかったのだな、ということを、いまさらながら、本書を見ていて実感させられた。
そしてもちろん、リンダ・マッカートニーは、この世に二人といない。彼女がいた「あの時間と空間」は、そのほかのどの地点にもあり得ないことが起こりつづけていた。本書をつうじて、幾度めかに僕らは、あの魔法に満ちた奇跡の瞬間が連続する場所で、心ゆくまで遊ぶことができる。
text:Daisuke Kawasaki(Beikoku-Ongaku)
「Linda McCartney: Life in Photographs」
Linda McCartney
Annie Leibovitz
Martin Harrison
Alison Castle
(Taschen)洋書