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絵本作家であり、イラストレーターであり、マンガ家でもある著者の作品を僕が最初に認識したのは、村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』(79年)の表紙絵だった。というか、あの絵があったからこそ、僕は同書を手にとった、とも言える。その意味で、本書の帯裏文における村上春樹の発言は興味ぶかかった。彼自身のリクエストから、佐々木マキに表紙絵を描いてもらうことになったそうだ。本書にも収録されている『ガロ』時代の佐々木作品を、村上春樹は好んでいたのだという。僕は村上作品については、好んだものもあり、そうでないものもあるが、「佐々木マキがイラストを寄せた作品群」については、強く記憶のなかに残っている。
という読者であったがゆえに、佐々木マキの画業については、僕はあきらかなる後追いだった。『宝島』の表紙絵を描いていたことも、あとで知った。マンガを描いていることも、あとで知った。であるから、『ガロ』掲載の諸作はもちろん、本書に収録されている作品の大半を、ここで僕ははじめて読んだのだが......じつに、じつに素晴らしい。面白い! まさに、めくるめく「マンガ体験」を、僕はここから得ることができた。本書に収録されている作品群が執筆されたのは、60年代から80年代初頭にかけて。とくに、著者がデビューを果たした『ガロ』誌上に発表された表題作、あるいは「ピクルス街異聞」などが、すさまじい。1コマ1コマが、秀逸なるイラストレーションとしても成立するほどの完成された描線であり、それらのコマとコマが緊密に連動しながら、ときにシュールに、ときにダイナミックに、情動をリードしていく。感覚を撹乱していく。
佐々木マキのタッチは、米アンダーグラウンド・コミック界の始祖であるロバート・クラムと比較されることも多いのだが、画風よりなにより、「マンガという表現手法」を、イマジネーションの飛翔速度にあわせて自由自在に変形させていく、という発想そのものが、かの地のあの時代のヒーローたちと近しかったのではないか、と僕は思う。ここから見比べたら、今日の日本マンガは、一歩も進化していないどころか、退化と退廃のきわみへと着実に歩を進めているものが大半であることがわかる。商業的要請から生まれた「文法」こそを至上とする価値観によって、自縄自縛となり痩せ細っていることがわかる。
手塚治虫が佐々木マキに嫉妬した、という噂は伊達ではない。単行本未収録作品も含む、著者自らセレクトしたマンガ作品が詰まった、400ページ超のこの大著のなかには、かつての日本にはあった「マンガの可能性」の原石が、そのアイデアが、吹きこぼれんばかりに煮えたぎっている。
text:Daisuke Kawasaki(Beikoku-Ongaku)
「うみべのまち 佐々木マキのマンガ1967-81」
佐々木マキ著
(太田出版)
2,993円[税込]