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僕らのヒットパレード

僕らのヒットパレード

第一級の「聴き手」により語られる「レコード」の話

12 3/27 UPDATE

本書が発売たちまち増刷、だというその事実に、限りなく僕は勇気づけられる。著者の2人が「レコードの話を書く」ということの価値は、いま現在のこの日本で、他に換えがたく貴重なものだということを、少なくはない人々が認識し、共有している、という「事実」。いい話じゃないか、それは、と僕は思う。

本書は、片岡義男、小西康陽という、日本(いや世界レベルで)屈指のレコード・コレクターであり、第一級の「聴き手」として経験を積んできた両氏が、「レコード」への愛を語り合う、というものだ。本書の中軸となっているのが『芸術新潮』誌上で連載されていた両氏のリレー・コラム原稿。そのほか、両氏それぞれが、それぞれ違う場所で書いていた「レコードや音楽についての原稿」の再録。それから、両氏の出会いの場でもあった、雑誌『フリースタイル』に掲載された「レコードを聴きながらの対談」計2回などが、収録されている。

どのパートもすべて興味ぶかいのだが、なかでも、『芸術新潮』のそれが、お互いがお互いを意識し合っているかのようなトーンがあって、じつにいい。達人どうしの「レコードじゃんけん」を横で見ているような。往復書簡で詰め将棋をおこなっているのを、観戦しているかのような。

「LPは魔法だ」と片岡義男はまえがきで言う。「これを魔法と呼ばないのだったら、ほかのなにが魔法なのか」と書く。音の振動を記録した媒体が、「かつてそこにあった時間」と「その時間に存在していた人々」を、いつなんどきにでも、何度でも甦らせられることについて、考察をする。決して届くことのない、過ぎ去ってしまった世界ぜんたいへとつうじる思慕を、彼一流のスタイリッシュな論理で、突き詰めていく。絶え間なくたぐり寄せられてくる「未来」の眼前にて、過去の集積である「現在」の、そのとてつもない重量をあらんかぎり背負いながら、一歩も引かず、微動だにせず屹立している片岡義男のその様は、まさに千両役者か超人か。

片や小西康陽は、なによりもまず、彼は「音楽家」である。生き身の人として、「音楽を生み出す」という神聖なる行為に、従事しつづけている人だ。それは官能であり、同時に、想像を絶する苦行でもあるだろう。その「きしみ」のなかで、世を去っていく同胞は、絶え間なくいる。そんな人々への、小西康陽からの言葉に、胸を突かれない人はいないだろう。

「レコードを聴く」「音楽を愛する」という純真なる心の衝動に忠実に生きるとき、「その引き換え」として、まるで悪魔から要求されでもしたかのように、この2人は、自らの魂のほとんどすべてを差し出している。これが崇高ではないのだったら、ほかのなにがそうなのか、と、片岡義男のまえがきのように、僕は思う。

語られるレコードのジャンルは多岐にわたるのだが、本書を注意深く読めば、片岡義男が言うところの「アメリカン・ポピュラー・ミュージック」がいかなるものなのか、その全体像を概観できる視座を得られるだろう。このメリットは大きい。また、その巨大なる大陸のごとき名盤、名曲群に、「熟練のDJでもある」小西康陽の耳が対応してく様も、じつにスリリングだ。

あえて本書の難点を挙げるとするならば、「カラーページが少ない」こと。とくに『芸術新潮』に初出の原稿など、「写真ありき」で書かれていたので、そこは残念だった。また、それらの写真はすべて片岡義男が撮っていた(!)のだから、全点をカラーで見せてほしかった。それが叶わないのであれば、小さなモノクロ角版でいいので、巻末に原稿で触れられたレコードのジャケット全点を載せるべきだったし、タイトルとレコ番(せめてレーベル名)を列記してあれば、実用性も上がったはずだ。そこが残念といえば残念......なので、ぜひこれは、第2弾、第3弾と、つづけてほしい。僕だけでなく、多くの人が、きっとそう思っていることだろう。

text: Daisuke Kawasaki(Beikoku-Ongaku)

「僕らのヒットパレード」
片岡義男 小西康陽 共著
(国書刊行会)
1,890円[税込]