12 8/28 UPDATE
訃報を知って、それから何日後だろうか。書店で本書を発見して、驚いた。発行日が、ブラッドベリの没日のほんの数日後だったのだ。偶然にそうなっただけだということはわかるのだが、しかし僕は、これは日本の読者に対してだけ、ブラッドベリからかけがえのない贈り物をもらったかのような、そんな気分になった。
レイ・ブラッドベリを読んだことがない人も、きっといるのだろう。そんな人にどう説明すべきか。SF作家だ、と言うことができるだろう。ハードSFと言うよりも、幻想的な叙情譚、怪奇譚、奇妙なる話、詩情ただよう小品などに、忘れがたい作品を数多く残した人だった。『十月はたそがれの国』『何かが道をやってくる』『たんぽぽのお酒』『キリマンジャロ・マシーン』、そしてもちろん、『華氏451度』『火星年代記』......こうした名作の背景にあったのはなになのか、あるいは、作家として長きにわたって執筆をつづけてきた彼自身のパーソナルなことについても、驚くほどに明快に語ってくれているのが本書だ。
本書で聞き手の役を担っているのが、ブラッドベリ研究家として著名なサム・ウェラー。そのせいか、御大の口調は軽く、「えっ、そんなことまで?」と思うほどのことも、すらすらと答えている。同時にまた、1920年生まれである彼が「幼少期のこと」を語ると、それはすなわち大恐慌時代である、という意味も生じる。ブラッドベリがひじょうに長い期間、現役作家として活躍してくれたおかげで、彼の足跡をたどることによって、我々は、20世紀のアメリカで「作家として」生きていくというのがどういうことだったのか、知ることができる。ブラッドベリという希有の語り手を反射鏡として、我々は、20世紀のアメリカと出会い直すことすらできる。まさに、まさに、この回路こそが、レイ・ブラッドベリの作品世界の基調構造そのものではないか。
ゆえに、本書を読んで、故人を悼むがゆえの痛切な想いにとらわれる人は、少ないのではないか、とすら思う。彼の闊達なるユーモアのせいか、彼が長命だったせいか、悲しいというよりも、しみじみと温かい気持ちになるのではないか。こんな大樹のような一生を送ることもできるなんて、まだまだ、人間は捨てたものじゃないな、と感じられるとでも言おうか。
カポーティ、ヘミングウェイ、フェリーニらとの接点についてのエピソードなど、映画のように面白い。偉大なる小説の国の、偉大なる小説家が、孫に相対するかのようにカジュアルに語ってくれた、希有なる一冊だ。
text: Daisuke Kawasaki (Beikoku-Ongaku)
「ブラッドベリ、自作を語る」
レイ・ブラッドベリ サム・ウェラー著
小川高義・訳
(晶文社)
1,995円[税込]