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「敵側の目」に映った像から、第二次大戦時の「日本兵」の真実の姿を読み取ってみようとしたのが本書だ。分析の対象となったのは、太平洋戦線の日本陸軍。つまり「アメリカ軍の目に映った」日本兵の姿がここにある。これがとても面白い。まずは日米の比較文化論的見地から、見過ごすことのできない一冊と言えるのではないか。もちろん「こんなものは読みたくない」と強く感じる人もいるだろう。慣れ親しんだ自画像に対して、他者からの客観的な評価を得ることを、ことのほか苦手としている人は日本にも多いから。
本書のソースとなったのは、米陸軍軍事情報部が42年から46年まで発行していた『Intelligence Bulletin』誌だ。「戦訓広報誌」という位置づけの出版物で、戦場そのほかで敵軍と相まみえたときの経験や、そこから導き出された多種多様な教訓を、自陣営で広く共有することを目的としたものだった。要するに、これは機密文書でもなんでもなく、米陸軍内で「広く読まれていた」ものだった、ということにまず驚くべきだろう。ここまでのクオリティのものが、下級将校、下士官兵が主たる読者の「実用誌」だった、という事実は重い。ちなみに、この『Intelligence Bulletin』誌、いまでもその表紙や内容のある程度を、インターネットで見てみることが、容易にできる。気になる人は、ぜひ検索を。43年の夏以降、写実的なイラストに変わってからの表紙など、とてもいい。
さて、そんな雑誌に掲載されていた日本兵への評価、つまりは「米陸軍内での常識」とは、一体いかなるものだったのか? たとえば、こんなのがある。「規律は良好」「準備された防御態勢下では死ぬまで戦う」「陣地と偽装は優秀」。しかし一方で、こんなのもある。「射撃は下手」「予想外の事態が起きるとパニックに」「頭脳と自分で考える力を考慮に入れる限り、日本兵は三流の兵隊」「ハッタリは力より安上がり」だと考えている......これらの情報の元となったのは、戦闘時の観察ばかりではない。日本兵の捕虜になっていて、のちに脱出した(解放された)米兵の報告から抽出されたものも多い。だから日本軍の内部情報もかなり「抜かれて」いる。たとえば、日本軍だってもちろん米軍の研究は進めていたのだが、「その研究がどのレベルで、詳細な内容はどんなものなのか」といった点についても、「元捕虜」の報告をもとにした分析が、同誌にはすでに掲載されていた。敵の手のなかですべてを「まるはだか」にされた上で、そのことをまったく認識していなかったのが当時の日本陸軍だった、ということがよくわかる。
太平洋のいたるところに進駐した日本軍が絶滅させられたことは歴史的事実だ。その背景において、彼我の勢力の優位性に大差を生じせしめたのが「相手を正しく知る」という、コミュニケーションの初歩の初歩といった段階での、目がくらむほどの力量の差だった、という理解はおそらく正しい。この段階で「完敗」していたのだから、そのあとの苦闘や尽力がいかに辛酸をきわめていようとも、それら一切合切は「無用で無駄なあがき」でしかなかった――そんな教訓を、本書から導き出すことは可能だ。そして言うまでもなくこれは、その後の(あるいはそれ以前の)時代の日本人一般の特性と、ほとんどそのまま同じだ。「世界に冠たる」日本企業の製品とそのシステムが、破滅への坂を転がり落ちていったこと。冷戦終結直後にバブル経済を弾けさせたあと、一度たりとも失地を回復することなく、国家経済が破綻へと近接しつづけていること。「にもかかわらず」自らをアジアの盟主的な、夜郎自大なイメージでしか規定できていないこと......これらの「特性」は、各国の今日的な『Intelligence Bulletin』誌によって、きっと「まるはだか」にされて久しいに違いない。
本書の数ある分析のなかで、その白眉とも言える記述がある。起源不明の風聞として広く知られていた「日本軍の白兵主義」および「その最強伝説」が一蹴されている下りがそれだ。まずもって日本兵は、「接近戦(白兵戦、格闘など)」を忌避する傾向が強く、その理由は、体格に勝る米兵を怖れているからだろう、との分析がある。しかも精神論に傾きすぎたせいか、銃剣術の技量が低く、とにかくまっすぐに、ただがむしゃらに刺突してくるだけ、なのだという。それがある程度の数まとまると(=数がまとまって、戦えるだけの気力を得ると)悪名高い「バンザイ突撃」の成立を見ることになるのだが、そういった状況に陥った際にはどうすべきか、同誌は読者にこうアドバイスしている。「(遮二無二突撃してくる日本兵の集団を怖れることはない)それは機関銃手にとって夢のような状況である」と。
現在の日本には、長かった「戦後」を終わらせるべく、新たなる戦争へと性急に歩を進めたい人がいるらしい。歴史修正主義者なのか、反知性主義者なのか、まるで開戦を待ち望んでいるかのような文言が、メディアやネットには氾濫している、と聞く。しかしそれらの勇ましいイメージが現実化したとしたら、そのつぎにはどうなるのか、というありさまは、いまさらわざわざ想像してみることもない。なぜならば、その重要な部分はすべて、先んじて本書に克明に記されているのだから。この歴史が、さらに愚劣で、酸鼻をきわめた悪夢として再現されるだけのことだ。「ひとりひとりが自分の頭で考えることすらできない」そんな集団が勝利をおさめられるような戦場など、20世紀の中盤においてすら、すでになかったのだから。
text: Daisuke Kawasaki (beikoku-ongaku)
「日本軍と日本兵~米軍報告書は語る」
一ノ瀬俊也・著
(講談社現代新書)
800円[税抜]