15 6/04 UPDATE
これを書いている現時点で、5月上旬に出たばかりのこの文庫版がもう重版中だそうだ。なんと素晴らしい。新しいファンが増えているということだ。僕も本作は、数あるボルヘスの著作のなかでも、最も長年愛読しているもののひとつだ。
「幻獣」とは、現実世界にはいない生きもののことだ。これが120種類、それぞれ項目立てされて紹介されている、という点が、おそらくはゲーム・ファンやファンタジー小説ファンを中心に、本書の人気が衰えない理由なのだろう。一角獣、ヴァルキューレ、ウロボロス、エルフ、アケローン、ガルーダ、ケルベロスといった有名どころはもちろん、「カフカの想像した動物」「C・S・ルイスの想像した獣」といったあたりまで、まさに古今東西、縦横無尽に語られていく。
と言っても、それらの幻獣のただひとつとして、ボルヘスが自分で見たわけではない(ここが日本の水木しげるとは違うところだ)。120種の獣どもは、ボルヘスが読んだ「書物のなか」にいたものだ。より正確に言うと、書き文字と伝承のなかにのみ、息づいていたものだ。それをいまいちど「新しい本のなか」に引き出してくることにかけて、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの右に出る者はいなかった。アルゼンチンが誇る、書誌の怪物、図書館の魔人、そんな彼の博覧強記ぶりが満喫できる本書は、言うなれば有史以来の人類の「センス・オブ・ワンダー」の見本市か悪夢の万華鏡か。彼一流の融通無碍な筆づかいが、たんなるモンスター事典以上のリーディング・プレジャーを読者に与えてくれる。ものすごく極端に、そして同時に蠱惑的に、文学における「可能性の道しるべ」が記されている名著が本作なのだ。
本書のオリジナル版は1957年に発表された。その後、67年と69年に改訂され、後者を翻訳したものが最初に日本で出版されたのが74年だった。そこでお馴染みだった柳瀬尚紀さん訳の名調子も、そのまま本書に収録されている。本書が時代を越えて読み継がれていくのは当然のことで、21世紀の現在となって、ようやく世界はボルヘスの脳の一部へと近づきつつある、とも言えるからだ。「人類が生み出したあらゆる書物がすべてある」という、ボルヘスが幻視した「バベルの図書館」なる概念、あるいは「すべての書物の文章は、ただひとつのとても長大な本の一部にすぎない」とする定義。これらとひじょうに近しいものと、いま僕らは日常的に接している。おもにインターネットを介して、膨大なる人類の知の蓄積そのものとすら、きわめて容易にコネクトすることができる。その意志と能力さえあれば――なんと我々は「ボルヘス的な」未来にすでにいることか! そしてもちろん、知識と意味の大海のそこここのいたるところには、いろんな姿の「幻獣」の影が見え隠れしているに違いない。
ちなみに、本書のなかで僕がとくに気に入った幻獣は、バジリスク、バロメッツ、アブトゥーとアネット、それから墨壺の猿、といったあたりだった。あなたはどうだろうか?
text: DAISUKE KAWASAKI (Beikoku-Ongaku)
「幻獣辞典」
ホルヘ・ルイス ボルヘス著 柳瀬尚紀・訳
(河出文庫)
1,188円[税込]