15 9/02 UPDATE
日本では、イラストレーター/アーティストとしての人気のほうが高いかもしれないエイドリアン・トミネ。しかし彼の「本業」は、一丁目一番地は、あくまでもコミック作家だ。そんなトミネの「本業」の書籍が、随分ひさしぶりにここ日本で翻訳出版される。この『サマーブロンド』がそれだ。本書は本国ではトミネの第三作目となる作品集であり、彼の出世作と言っていい、見事なる四つの短篇コミックスが収録された一冊だ。
ところで、グラフィック・ノヴェルという言葉をご存知だろうか? これはアメリカン・コミックスの世界で、ある特定の要素を満たす作品をカテゴライズするために考案された用語だ。スーパーヒーローが明朗に活躍する、誰もが想像する古典的でシンプルなアメコミと比較すると、より大人向けの内容で、文学的なふくらみのある作品がそう呼ばれる。日本で最も知られたグラフィック・ノヴェル作品は、(映画化もされた)ダニエル・クロウズ作の『ゴーストワールド』あたりだろうか。そしてこの領域に区分される作品群こそが、今日のアメリカにおいて、従来のコミック・ファンを大きく超える公汎な読者を獲得し、文化の広い領域にまで影響力を及ぼし始めている。そんなグラフィック・ノヴェル界の先頭ランナーのひとりがエイドリアン・トミネであり、発表当時「ついにその本領を発揮した」とアメリカで評された、傑作ばかりが収録されているのが本書だ。
こんなストーリーが、本書には収録されている。「別の顔をした僕」では、新進作家のマーティンに、差出人不明のハガキが届く(そこから妄想が広がっていく)。表題作の「サマーブロンド」では、さえない中年男のニールが、一方的に恋慕する女の子を守ろうとする(が、ストーカーにしかなれない)。「バカンスはハワイへ」では、元天才少女のヒラリーが、ちょっとした気晴らしのいたずらを思いつく(そしてどんどん孤独になっていく)。「爆破予告」では、高校生のスコッティとアレックスの親友ふたりは、校内のジョックスとは関係のない、ひそやかな閉じた世界のなかにいたのだが(しかし......)――これら登場人物のそれぞれが、それぞれに「うまくいかない」現実となんらかの衝突を経たあげくに、「自意識の引っ掻き傷」とでも呼べそうな、小規模のトラウマを積み上げていく日常が描かれていくのがトミネ作品だ。その語り口調は、あくまでもミニマルに、淡々とした、抑制的なトーンで......本書の帯にはこんな惹句がある。「レイモンド・カーヴァーのペシミズム、ミランダ・ジュライの孤独感、ウディ・アレンのロマンティシズム、ジム・ジャームッシュのオフ・ビート感を併せ持つ」――それがエイドリアン・トミネの作風なのだ、と。これにぴんと来た人はぜひ手に取るべきだ。アメリカのすぐれた短篇小説を読み慣れている人、ニューヨーク派の切れ味のいいインディペンデント映画の秀作には目がない人――もしあなたがそんな人だったとしたら、この『サマーブロンド』を試してみるべきだ。その期待が裏切られることはないだろう。
装丁、造本も美しい本書は、まず手触りが楽しい一冊でもある。もちろん視角的にも優秀きわまりない。長年〈ニューヨーカー〉誌の表紙を張り続けているトミネの画力が発揮された、明確でクリーンな描線が織りなす、デザイン的に寸分の隙もない、美麗なるイラストの連続のような1コマ1コマを、見ているだけでもきっと楽しめるはずだ(日本では一時期の望月峯太郎がトミネの大きな影響を受けていたことが知られている)。そこからさらに踏み込んでいけば、ちょっとびっくりしてしまうほどの深く広い海が、ほんのすこし向こうにある。そしてその大海は、今日の日本の漫画文化とは比較しかねる性質の感興を、あなたに与えてくれるに違いない。
最後に蛇足ながら、ノヴェル(Novel)とは元来、長篇小説を指す言葉だ。本書収録の四篇は、長篇と呼ばれるサイズではないため、「グラフィック・ノヴェル」と呼ばれるのは、一見、語義矛盾のようにも思える(普通、短篇はショート・ストーリーと呼ばれる)かもしれない。しかしこと「エイドリアン・トミネ作品においては」この言葉遣いが最も妥当なものであると僕には感じられる。彼の作品の「読み味」は、そのほかになんとも評しようがない。ごく平均的な「短篇のコミック作品」とは、その凄み、写実性の精度、奥行きのありかたがまったく違う。ゆえに僕はこんなふうにも考える。エイドリアン・トミネこそが、グラフィック・ノヴェルのぜんたいを、つぎなる段階へと進化させていく先鋒となるのではないか、と。大袈裟ではなく、19世紀終りから20世紀にかけて、とくに英語圏で、短篇小説が文学ぜんたいをリードしていった時代の息吹き、あれと同質のものが彼の作品のなかにはあるような気すらする。今日まさに圧倒的な、アメリカにおけるエイドリアン・トミネ作品への讃辞の背景には、この伸びゆく新芽のような、「新しい時代の普遍」となるかのごとき芸術的な芯の強さに、多くの人々が感応したからなのではないか。本書の巻末に、僕は解説文を寄せた。帯表の推薦文は、片岡義男さんだ。日系四世のアメリカ人であるトミネの作品が、彼の父祖の地であるここ日本にて、ひとりでも多くのよき読者を獲得できることを僕は望む。
text: DAISUKE KAWASAKI (Beikoku-Ongaku)
「サマーブロンド」
エイドリアン・トミネ 著 長澤あかね・訳
(国書刊行会)
1,900円[税抜]