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もしこの世の中に「下北沢学」なるものがあったならば、学徒にとって必携の一冊となるのがこれだろう。本書は、小田急線と京王井の頭線がそこで交差する鉄道の駅、下北沢の周辺に広がる、あまり大きくはない規模の繁華街の通称としての「下北沢」について、歴史を振り返り、構造を考察し、現状を分析し、かくあるべき未来を想像しようとしたものだ。カラー写真も豊富に収録、おおむね日英バイリンガル表記でもある。まさに労作と言うべき内容となっている。
本書の構成は、まず第一章にて「シモキタらしさのDNA」が検証される。来し方から、現在の「道路問題」までが語られる。第二章は「街づくりとその変容」として、都市デザインの観点から下北沢の来歴が解体されていく。第三章は「さよなら踏切、まちの未来へ」として、小田急線が地下化されたあとの今日において、どんな方向へと再開発をおこなっていくべきか、プランが提案されている。線路の跡地使用法について、ニューヨークのハイライン公園をイメージしたプランがあることを、僕はここで初めて知った。ミュージシャンの曽我部恵一ら、下北沢にゆかりの深い人々も多く本書に登場している。保坂展人世田谷区長も登場している。
と、そんな本書のなかで、僕が最も印象深かったのは一枚の写真だ。ヒトラー・ユーゲントの青少年たちが、制服姿で一番街商店街を行進する姿をとらえたものがそれだ。噂には聞いたことがあったのだが、現物を見たのは僕はこれが初めてだった。1941年(昭和16年)のことだったそうだ。第二次大戦下、ナチス党の青年団組織であるヒトラー・ユーゲントの構成員たちが、同じ枢軸国である日本の人々と友好を深めるために来日したことが数度あった。そしてこの41年、「日本の先進的な商店街」の代表例として、下北沢の一番街を表敬訪問したのだという。その様子を、一枚の写真から見てみることができる。
そんなふうにしてハーケンクロイツと日章旗の小旗が沿道で打ち振られた、その十数年後の下北沢には、当時まだ少年だった片岡義男が歩いていた。そこからさらに時を下った90年代には、フィッシュマンズの佐藤伸治が南口駅前広場でぼーっと坐っている姿をよく目撃された。僕も目撃した。もう離れて長いのだが、かつて僕も下北沢のすぐ近くに住んでいた。〈スリッツ〉というクラブに歩いていけるというだけの理由で住んだ。だから同店がなくなったあとは、すぐに引っ越すつもりだったのだが、それから十年以上、住み続けた。理由はよくわからない。磁場のせいなのか。近づくと抜けられない、蜘蛛の巣のようななにかがあるのか。
今日の下北沢では、戦後焼け跡の闇市の名残りだった北口の市場もなくなってしまった、そうだ。地下化された小田急電車の乗り継ぎは、同じく改悪された東急渋谷駅とどっこいどっこいの、非人道的なまでの使い勝手の悪さ、なのだという。「電気棒でつつかれて、柵のなかを追い回されている家畜みたいな気分になるよ」なんて声も聞く。これらもまたすべて、いつの日にか「焼け跡」になるのか、どうか――下北沢を観察することから見えてくるのは、混沌だ。その混沌こそ、日本人が考える浮き世の、つまり「この世」の縮図なのではないか。そんなことを、本書を読みながら考えた。
text: DAISUKE KAWASAKI (Beikoku-Ongaku)
シモキタらしさのDNA 「暮らしたい 訪れたい」まちの未来をひらく
高橋 ユリカ 小林 正美・共著 NPO法人グリーンライン下北沢・編
(エクスナレッジ)
1,800円[税抜]