15 12/01 UPDATE
新訳による名著の文庫化、エディションごとに数えると三度目の邦訳書籍化、これはぜひ読んだほうがいい。本書は、アメリカの著名ジャーナリスト、デイヴィッド・ハルバースタムの手による歴史書だ。題材となったのは「1950年代のアメリカ」。そこでなにが生まれ、それによってアメリカが、資本主義社会が、ひいては人類の文明が、いかに不可逆的な変化を遂げてしまったのか――そんなことが、膨大な資料と分析によって、さまざまな角度から分析されていく......と言うと、なにやら難解な評論集のように思えてしまうかもしれない。しかしそうではない。つぎからつぎへと、ハニカム読者だったら目を離せないだろうトピックが躍り出してきて、飽きさせられることはない。
たとえば、ロックンロールの誕生。テレビの最初の黄金時代。ディスカウント・ストアの登場。ジェネラル・モーターズの躍進。マクドナルドが生まれたことも、「専業主婦」なんて概念が一般化したのも、それらはぜんぶ、「アメリカの50年代が生んだもの」だったことが能弁に語られていく。かつて片岡義男はこう言った。「ローマ帝国の全盛期のように」、同時代の地球上のすべての他地域を足したとしても太刀打ち出来ないほどの、まさに人類史上未曾有の「豊かさ」を、この時代のアメリカのみが単独で達成してしまったのだ、と――そのありさまが、いろいろな角度から観察されていく一大クロニクルが本書なのだ。
そして日本人が忘れてはならないのは、「アメリカの50年代」が輝いたのは、「大日本帝国軍が敗けたお陰」だった、ということだ。アメリカが第二次大戦を勝ち抜いた結果が「黄金の50年代」を招き寄せた。30年代の不況の影から抜けきれなかったアメリカが、まさに「リベット工のロージー」の出番をも得て、戦中に一大工業国へと変貌して、悪の枢軸国を打ち倒していった、その余波が50年代を形づくっていった。だからたとえば日本は、そこにまるで悪役のプロレスラーのように、「倒されることを宿命づけられたヒール」として、大きくかかわってもいる。ゆえに本書のなかでは、原爆投下がいかに50年代の「時代精神」に影響を与えたかも、もちろん考察される。アイゼンハワーとは何者だったのか、「赤狩り」や、プレイボーイ・マガジンの登場と同列の地平で分析されていく。だから「戦後の日本」になんらかの形で興味がある日本人だったら、本書を読んで後悔することはないはずだ。
本書は文字量がある大著だ。三巻それぞれ、しっかりと厚さがある(1が528ページ、2が400ページ、3が368ページだ)、文字詰めも今日の文庫本にしてはかなりタイトに組まれている。しかし、ひるむことはない。ハルバースタムの書きかたの一大特徴は「読んで面白い」ことだ。ときにはまるで、生活情報を紹介する月刊誌に掲載された、気が利いたコラムのような筆致で。またときには、大河小説のクライマックスなみのドラマチックな情感で、読者の首根っこをつかんで、前へ前へと進めていく。だからあなたに十分な読書時間さえあれば、一週間と経たずに読破してしまえるのではないか。そして読み終わったあと、貴重な知見とともに、充実した読後感が胸のうちにあることを感じるだろう。そして可能ならば、彼のほかの著作にも手を伸ばしてほしい(彼の本はその多くが邦訳されている)。デイヴィッド・ハルバースタムは、ヴェトナム戦争たけなわの時期にそれが醜悪なる無意味であることを看破した。アメリカの左派にとって得がたいヒーローのひとりが彼だった。ハルバースタムのような知性と勇気、良識ある態度こそが、これからの我々ひとりひとりの死命を制することにつながっていくだろう、とも僕は考える。端的に言うならば、いまだ人類は「アメリカが50年代に生み出したもの」の呪縛から逃れられていないからだ。そのせいで、あらゆる意味での生存の危機に、日常的にさらされているからだ。頭を使わずに生き延びられるほどの楽園はもうどこにもない。
今回のエディションの大きな楽しみとして、各巻の巻末には、映画評論家/コラムニストの町山智浩さんと英語圏政治・文化研究家の越智道雄さんの対談が収録されている。町山さんいわく、彼のアメリカ認識の「師匠」にあたるのが越智教授だったのだそうだ。このふたりが丁々発止で語り合う「アメリカ」や「ハルバースタムのフィフティーズ」が、面白くないわけがない。こちらもぜひお見逃しなく。
Text:DAISUKE KAWASAKI (Beikoku-Ongaku)
「ザ・フィフティーズ ─1950年代アメリカの光と影」1~3巻
デイヴィッド・ハルバースタム 著
峯村利哉・訳
(ちくま文庫)
各1,200円[税抜]