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『フォースの覚醒』を観たあとでなにを読むべきか。手に取るべきか。これがディズニーの底力ということなのか。旧三部作のころとは比較にならないほどの関連商品攻勢に食傷気味の人も多いだろう。関連書籍だって山ほどある。そのなかで一冊を選ぶとしたら、僕ならこれだ。ポスターやコンセプト・アートなど、これまでの『スター・ウォーズ』に関連するアートワークから厳選された120点が収録されている画集、それが本書だ。
本書には、日本未公開だった図版はもちろん、かなりの稀少画までもが含まれている。これらの収録アート作品を選んだのが、ジョージ・ルーカス御大だと知って納得した。ページを繰っていくことに歓びを感じられる、編集のリズム感がいい。構成もいい。言うなればまさに、『スター・ウォーズ』シリーズの最良の部分に(あるいは、その部分を記憶のなかに転写し得た観客の意識のなかに)あったはずの、「あの」めくるめくイマジネーションの躍動というものを、一流アーティストの筆使いから再体験できるのが、この一冊なのだと言える。写実性と誇張や変型という、アート本来の機能と、『スター・ウォーズ』という巨大なる空想大系との、そもそもの「相性のよさ」ということも感じた。黄金期のSFペーパーバックの表紙絵などが、『スター・ウォーズ』の有力なアイデア元のひとつだったのだから。
収録作のなかで、そうしたオリジンからの流れが色濃いものは、やはりシリーズ初期に多い。ラルフ・マクォーリーによる、まだメイン・ロゴも定まらぬ時期に描かれたルーク(?)像や、ジョン・ソリーによるスペース・オペラ感覚満載の鉛筆画など、一連のコンセプト画や、ハワード・チェイキンによる『スター・ウォーズ』第一号ポスターに胸を熱くする人も多いだろう。また『帝国の逆襲』のメイン・ポスターを描いた生頼範義の存在感の大きさも実感する。彼の硬質なリアリズムと「緑の透過光」表現が、その後のシリーズ全体へ与えた影響を過小評価していはいけない。そのほか、僕の個人的なお薦めとして、デザイン性に優れるものをいくつか挙げておこう。まずオリー・モスによる旧三部作ポスター・アートが、旧共産圏アートのようで素晴らしい。それから、スティーヴ・トーマスによる一連の「帝国軍プロパガンダ」ポスター、これもいい。第二次大戦期のアメリカの戦意高揚アートを模した、歪んだアール・デコとも言えるその出来映えのよさに、思わず帝国軍に入隊したくなっても不思議はない。
ところで、『フォースの覚醒』を、あなたはどう観ただろうか? 僕はなによりもレイ(デイジー・リドリー)とフィン(ジョン・ボイエガ)のコンビが素晴らしいと思った。SW世界において、ここまで生々しい感情を、とくに「情熱」を、表情に宿らせ続けた主要人物は初だろう。またその情熱の内容が、「ど根性(と健気)」(=レイ)、「向こう見ず(と粗忽)」(=フィン)であり、これはつまり、青春キャラクターの典型的な特質を、それぞれが分担して受け持っているということだ。男女の「フレンズ」にこれを分担させる、という着想が今日的でとても素晴らしい。このふたりが走っては転び、ミレニアム・ファルコンを(勝手に)駆って飛翔したとき、「あり得ないことが起こった」と僕は強く感じた。もういまさら、決して望むべくもない、と諦めてもいた、「あの本来の『スター・ウォーズ』」の復活が、ものの見事に成し遂げられたのだ――と。そしてこの偉大なるサーガの蘇生が、旧キャストの登場や、旧作へのオマージュの的確さからではなく(もちろん、それはそれで有益だったのだが)、まさに「血湧き肉踊る」若いふたりによって、力づくで成し遂げられたところにこそ、本作の真の意義がある。大いなる意味がある。もし仮に、いまの十代が、レイとフィンの「エモーション」の発露から、オールド・ファンの少なからぬ者が「タトゥイーンのふたつの夕日」を目にしたとき、胸の奥深くから湧き上がった感情と同質のものをかんじることが出来たならば――それこそが本当に「フォースが継承された」という証拠になり得るはずだと僕は思う。
とりあえず、本書を閉じたら、また僕は劇場へと足を運ぶ。これを何度か繰り返すことになるだろう。
text: DAISUKE KAWASAKI (Beikoku-Ongaku)
「スター・ウォーズ アート:ポスターズ」
ルーカスフィルム・著
(パイ インターナショナル)
3,900円[税抜]