honeyee.com|Web Magazine「ハニカム」

Mail News

チューリップ ダシール・ハメット中短篇集

チューリップ ダシール・ハメット中短篇集

ハメットという作家の核心へと迫る、意欲的なアンソロジー。

16 1/18 UPDATE

昨年末に他界した、翻訳家にして「日本ハードボイルドの父」小鷹信光さんが編訳を手掛けられたのが本書だ。これを書店で発見した、その数週間後に僕は訃報を聞いた。だから現時点ではこれが遺作ということになるのかもしれないが、あと一冊、ジャック・リッチーの作品集の作業を進めていたという情報もある。ご興味あるかたは、こちらもぜひ、楽しみにお待ちいただけたらと思う。

さて、ダシール・ハメットといえば『マルタの鷹』だ。あるいは『血の収穫』だ。この世に「ハードボイルド」小説なるものを降臨させた、最初の第一人者が彼だ。まずはミステリ小説の愛好家のあいだで、つぎに戦間期から第二次大戦後のアメリカ文学の主流の領域に、彼の小説は、とてつもなく大きな影響を与えた。とくにその、ショッキングなまでに簡潔な「文体」と「プロット」――「探偵が上司に宛てた報告書のような」とよく評されるスタイル――の威力は圧倒的だった。ヘミングウェイやフォークナーといった米文学「主流」の偉人たちと、まったく同じ時代にハメットが書いていたことの意義については、本書のなかで小鷹さんも触れている。そんな本書は、ハメットをミュージシャンにたとえるならば、「レア・トラック集」ということになるだろうか。普段はあまり顧みられることのない側面に光を当てることで、ハメットという作家の核心へと迫る――と同時に、「ハメットのような書き手がアメリカ文学界にいたこと」の意義をも浮き彫りにすることを意図した、意欲的なアンソロジーが本書だと僕は感じた。
 
まず本邦初訳の表題作が、最大の問題作だ。これぞ噂には聞いていた、ハメットが生前最後に取り組んでいた、しかし未完成に終わった「遺作」。これがまるで、「書けない」ということをこそ「書こうとした」、日本の私小説のような思弁的中篇なのだ。ハメットその人と思える老境の作家の逡巡が作中で描かれているのだが、もちろん、「自分の心境をありのままに」書こうとするのは、彼にとってとてもめずらしいことだった。未完ゆえの、いや、未完となってもしょうがない、と思っていいだけの、ハメットの精神的格闘の痕跡が色濃く残る一作がこれだ。

また、同作の舞台となった時代設定も見逃せない。小鷹さんの読み解きによると、それは1952年の初春なのだが、これはハメットにとって「出所後すぐ」の時期にあたる。悪名高き赤狩りに引っ掛かったハメットは、あくまでも最後まで当局に協力を拒んだために、51年、法廷侮辱罪のかどで連邦拘置所に収監されてしまう。このときのダメージが、持病の肺結核にも影響し、ハメットの精神的健康および作家としての活力をも大いに減衰させてしまうことになる。ふたつの大戦に志願して参加した愛国者でありながら、政治的理想と義侠心にある意味殉じることになった彼の最晩年にこそ、まさに「書かざるを得なかった」一作がこの「チューリップ」だったことがわかる。あるいは、こうも言えるかもしれない。今日の日本の政治、文化状況を鑑みるに、いまこの時期にこそ訳出されるべき作品がこれだった、と。転向どころか、あらかじめ政権の顔色を伺いながら、どこかの支配層の意図を忖度しながら、ただ右顧左眄するだけの物書きばかりが目立つ今日の日本に、本来的な意味でいちばん「いなければならない」者こそが、ダシール・ハメットのような気骨の文人であるはずだから。

で、本書はそれだけでは終わらない(終わるはずがない)。小鷹さんの執拗なる(!)解説およびガイドによって、読者はさらに遠い地点へと導かれていく。表題作「チューリップ」のなかで、ハメット(のような作家)が、「私小説的題材でいちど書いたことがある」と述べた掌篇の現物もここに収録されている。これは「休日(Holiday)」というタイトルで、「知る人ぞ知る」一作だ。なぜならば、かつて片岡義男さんが「ハメットは翻訳された短篇をひとつだけ読んだことがある」と言って、なんと「そのひとつ」をねたにしたパスティーシュとして、「給料日」という傑作中篇を書き上げたことがあるからだ。そして僕は、この「給料日」と、その成り立ちを記したエッセイをフィーチャーしたジンを作った(発行はビームス)。さらに、「給料日」のパスティーシュとして、ひとつの短篇を書いた(これは「六月まで連れてって」という題で、『文藝』2015年夏季号に掲載された)。これを書くとき、僕はあらかじめ片岡さんに仁義を切った。「パスティーシュを書きますが、いいですか?」と僕が言ったところ、「パクリですか」と片岡さんは言う。「パクリではないです、パスティーシュ」と僕は抗弁したのだが、片岡さんのなかで両者の違いはないようで、「僕はほかにもパクッたことがあるなあ。ヘミングウェイの『清潔で明るい場所』を。僕のどの短篇がそれか、わかりますか?」などと、話がどんどんズレていったことを思い出す......で、その「休日」なのだが、小鷹さんによると、なんと片岡さんが読んだという初訳のテキストには、オーラスのところで誤訳があったのだという!(実例付きできちんと検証されている)――というわけで、僕にとっては何重にも味わいぶかい、まさに「ハメット迷宮」とでも呼ぶべき一冊がこれだった。

そのほか、ハメットが商業誌に初めて掲載した掌篇や、『ブラック・マスク』デビュー作、もちろん「コンチネンタル・オプもの」も収録されている。全11篇、各作品には前述のように、(情報満載の)解説も付いている。ハメットの超詳細な長短篇作品リスト(!)もある。あとがきはもちろん素晴らしい。ハメットが没したころに小鷹さんがデビューされたことも含め、彼の作品およびハードボイルド小説の研究と邦訳に長年献身されてきたその歩みが、端正で冷静、さらには気品漂う筆致で「簡潔に」記されている。本書は今後、日本のハメット・ファンの必読書となるのは間違いないし、また、収録作の傾向が多岐にわたる(ミステリ/クライム・ストーリー以外も多い)ことから、ジャンル・ファン以外のアメリカ文学愛好者にも手に取りやすい一冊となっているのではないか。ところで僕は翻訳者としての村上春樹を全面的に否定するわけではないが、彼のチャンドラー訳は「なんで?」と思わされるところ、明らかなる誤訳の放置があまりにも多すぎた。そのことを、小鷹さんがきっちりと真面目に指摘されていたことを、この耳で聞くことができたことは、得がたい体験だったといまでも僕は思う。

そしてこんなことを夢想する。正しい修行を積む者の右肩の斜め後方ぐらいの位置には、サー・アレック・ギネスのときのオビ=ワン・ケノービのような佇まいで、必要なときにはいつも、小鷹信光さんが立っていてくれるのではないか、などと。あの容貌のせいか、小鷹さんはまるでジェダイの騎士のように、この地上に、「道」を学ぶための書物を数多く残してくれたのではないか。本書を前に、そんなふうに思う。

text: DAISUKE KAWASAKI (Beikoku-Ongaku)

「チューリップ ダシール・ハメット中短篇集」
ダシール・ハメット著 小鷹信光・訳
(草思社)
2,200円[税抜]