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歴史の陰に埋もれていた「初期アメリカ」の、おもに庶民の労働着や日常着、そのありさまについて、膨大な調査と研究の果てにまとめ上げられた労作が本書だ。「ありさま」なのだから、もちろん図版も豊富だ。写真36点、そして、223点にものぼるイラストの大半は、著者が描いたものだ。ではいったい、いつの時代の「アメリカの日常」が埋もれていたのか。これについては、版元の紹介文を引用してみよう。
「1710年からから1810年までの100年間、新聞・雑誌に取り上げられたり肖像画などが残されたりしている上層階級とちがい、一般大衆や地方の農民がどのような職業に就き、どのような服を身にまとっていたのかを示す遺品は皆無に等しい。しかもこの時代のアメリカには、イギリスのホガースやパインのような下層階級の人びとを描いた画家が生まれなかったので、植民地時代のアメリカの一般大衆は、その時代に描写されないまま、歴史から消えてしまった」
つまり、「庶民の姿」が消えてしまったのは、たとえばアメドラで言うなら、『スリーピー・ホロウ』のイカボット・クレーン大尉が最初にいた時代だ。映画なら、エメリッヒ監督の『パトリオット』(00年)がど真ん中で、いま話題の『レヴェナント:蘇りし者』も遠からずだろう(こちらは1820年代が舞台だ)――だからこれらの映像作品は、もしかしたら、本書の存在がなければ、まったく違ったものになったかもしれない。原著がアメリカで発行されたのは1977年。以来本書は、研究者や学生、歴史ファンはもちろん、コスチューム・デザイナーの聖典となったから。
本書を画期的な一冊としたのは、ひとえに著者のピーター・コープランドの傑出した手腕だった。彼は歴史読み物や子供向けの絵本も数多く著した人物としてアメリカでは有名だ。専門はアメリカ史、とくに、(日本では独立戦争と意図的に誤訳された)アメリカ革命戦争期の軍服や市民服への造詣が深い。スミソニアン協会の歴史関係の主任イラストレーターだった、と聞けば、本書のテーマをものにできる、おそらく地上最強の人がコープランドだったことが容易に想像できる。
その彼が、「歴史探偵」となって、資料を洗い、ヨーロッパからやって来た移民たちの本国での服装そのほかから推理して、それをイラストにした上で、文章によって詳細な解説まで加えたのが本書なのだ。翻訳は、こちらも斯界の専門家(アメリカ服飾社会史研究家)の濱田雅子。まさに「これ以上ない」布陣によってまとめられた一冊が本書だと言える。
そんな本書を僕がここで紹介するのにはわけがある。おそらく日本は、アメリカの労働着、庶民の日常着についての優れた研究家が、世界有数で多い国だと思う。その数、さすがにアメリカには負けるだろうが、たとえばイギリスそのほか、EU圏あたりであれば、どこを相手にしても遜色ないだろう。が、「これまでの日本」での研究対象は、おもに19世紀後半からのものだったはずだ。「であるならば」と僕は考えた。それ以前の時代、19世紀の前半から、18世紀にまで視線を伸ばしていけば、さらにそこには「知るべき」ことは多く、そこで得た知識と教養は、新たなる鉱脈へとつながっていくのではないか、と。ジーンズを知るためには「ジーンズが生まれる前」を知らなければならないはずだ、と。
そんなところから、僕は本書を、ぜひハニカム読者にお薦めしたいと考えた。コープランドの、リアリスティックで、ときに細密画のように描きこまれたイラストは、「アメリカの服」に興味がある多くの人にとって、ここ日本でも聖典と化していいはずだ。たとえば本書の13章「民族に固有の服装」にて絵解きされた、クエーカー教徒における「クエーカー帽の4変種」の見分けかたは、ここで見なければ、僕は一生涯、知ることはなかっただろう。そんな「本物の知識」が満載の一冊が本書なのだ。
text: DAISUKE KAWASAKI (Beikoku-Ongaku)
「図説 初期アメリカの職業と仕事着 ― 植民地時代~独立革命期」
ピーター・コープランド著
濱田雅子・訳
(悠書館)
2,800円[税抜]