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表紙を見れば一目瞭然、いまとなっては「なつかしく」感じるだろう、昭和のパッケージ・デザイン「311点」を集めたのが本書だ。対象となったのは、昭和30年から60年代(1955年から80年代)の、お菓子、飲料、食品、日用雑貨などの「パッケージ」。これらの現物が撮影された上で、切り抜き写真となり、分類され、掲載されている。もちろんフルカラーだ。
分類の方向性も、考えられている。デザイン的観点から、「ロゴ」「色合い」「キャラクター」「イラスト」、それぞれの点で秀逸なものを選んでいく、という趣向だ。ある意味淡々と「いまではない時代」に誕生した、しかし忘れ去られるべきではない「優秀なパッケージ・デザイン」を、ひとつひとつ丁寧に観察していくという行為に、読者をいざなっていく。それゆえのこの4分類であり、本書のポップな「デザインとカラリング」なのだろう。
日本で言うと中学校にあたる一時期を、僕はロンドン郊外の寄宿学校で過ごした。そのせいなのか、日本の多くの人が「あったあった」とうなずき合えるものについて、僕には接点がないことがよくある。にもかかわらず、本書に掲載された「モノ」の少なからぬ数には、僕にも明確な、体験にもとづく記憶があった。森永のハイソフト、明治のチェルシー、味はまったく思い出せないが、このパッケージを忘れることはない。ドッグフードのビタワン、「愛犬の栄養食」とのレタリング、この大書された日本語の迫力に驚いたことを憶えている。一方、幾度も飲んだ(が味は忘れた)清涼飲料水のチェリオが、並べるとこんなふうにも見えるのは新鮮だった。編集とデザインの手腕ゆえだ。
日本では「ノスタルジー」とよく言われる、英語では「nostalgia」と呼ばれる感情は、17世紀後半、精神障害として最初に「発見」された。「いまそこにはない」とある場所に、とある時代に、「帰りたい」と強く欲する感情について、当時の医学者は病気だと判定したのだ。戦場で前線に立った兵士、なかでも、戦況思わしくないときのそれらからこの症例は多く発現した、のだという。いま日本で「なつかしいモノ」を題材とした書籍や雑誌が粗製乱造されている理由も、まさしくこれにあたる。落日の只中にある国として、滅びゆく文化圏の最後のあがきとしての「ノスタルジー」が、書店の書架を大きく占めているわけだ。本書もそうした風潮とは無縁ではない。しかし前述の編集方針ゆえ、巷によくある「なつかしい昭和」をただ愛おしむだけの一冊とは、大きく一線を画するものとなっている。過ぎ去った過去を、いや、「過去を記憶している感情」そのものを慰撫するためにあるのではなく、「記憶しておくにふさわしい」人々の営みをこそ記した一冊が本書だからだ。
ページ上にベタで引かれた強い色調と、そこに配置された切り抜き写真の色の衝突のなかから、単純なレトロ趣味を超えた「ストーリー」の所在が立ちのぼってくる。パッケージ・デザイン版の『プロジェクトX』とでも言おうか。これら、ときには剛胆に、朴訥に、「そのものの本質」から外形へと線をつないでいくようなデザインは、すでにして正しく「昭和の遺風」と呼ぶべき気骨であり、文化様式なのだろう。であるから、「昭和を記憶していない世代」にとっては、より一層面白く見ることができるのではないか、と僕は想像する。
かつての英国は、そして米国は、まぎれもない「ものづくり大国」だった。そしていまは、べつの意味での大国へと転じている。同様の転身に、日本という国は取り返しのつかない大失敗をした。だがしかし、だからといって、かつては「いいもの」を作ってはいたのだ、という事実を、いまことさらに軽視する必要はない。ここに収録された、色とりどりの「楽しい」デザインが、いまもそれを、そしておそらくは今度もずっと、本書を手に取った者に語りかけてくれるに違いない。
text: DAISUKE KAWASAKI (Beikoku-Ongaku)
「昭和のレトロパッケージ」
初見健一・著
(グラフィック社)
1,400円[税抜]