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米軍が見た東京 1945 秋

米軍が見た東京 1945 秋

米軍が第二次世界大戦終結直後の東京を撮影した写真集。

16 6/22 UPDATE

1945年の秋、つまり、日本の無条件降伏によって太平洋戦争および第二次世界大戦が終結したその直後に、文字どおりの焼け野原となっていた東京のいたるところをとらえた、貴重きわまりない写真が掲載されている写真集が本書だ。撮影者は、米軍だ。まさに表紙にあるようにして、海から、空から、続々と「上陸」してきた彼らが撮影したショットが、本書のなかに170点以上収録されている。

まずやはり、空撮された写真の数々が印象ぶかい。まさに「なにもない」のだ。一部のコンクリート建築の建物以外は、まるで史上最悪の大津波に洗われでもしたかのように、地上にあったはずのものがきれいさっぱりと「ない」。あらゆるものが焼き払われ、がれきが転がるだけの平坦な広がりが地平線まで続いていくその場所が、五反田駅の上空からから南西を見た風景だったりする。そのほか、日本橋、亀戸、神田、浅草橋なども空撮されている。つまり、空襲されたあとの場所が、終戦直後にあらためて、空から「撮影」されているわけだ。皇居も多く上空から撮影されていて、焼け落ちたその跡を見てとることができる。

これらの撮影は、まず、米軍の軍事活動のためにおこなわれた。爆撃の効果を確認するための調査写真として戦中に高々度から、あるいは終戦後、占領政策を進めていくにあたっての資料として、空から地上から、撮られた。そしてこの当時、とくに「8月15日」の前後に日本人側が残した(残せた)写真は、ほぼ皆無だったらしい。10月ぐらいになると、木村伊兵衛らによって街の風景や人々の姿が撮られ始める。だからそれ以前のもの、45年の8月から9月のショットが、おそらく「ここで初めて」多くの日本人の目に触れることになるわけだ。それが大量に、本書のなかにある。

焼け跡だけではなく、「焼けなかったもの」も興味ぶかい。高射砲陣地の跡、偽装建築のビルなどがそれだ。後者の「偽装」とは、建物に暗い色の塗料を塗ったり、網を被せたりして、航空機から見えにくくすることで「爆弾を避ける」という発想から生まれた(しかしこのとき米軍が使用したのは「面を燃やしつくす」ナパーム弾だったから、ほぼ無意味だったそうだが)。このなかでは、ひとまず焼け残った「網」つきの国会議事堂も見てみることができる。

上陸のシーンで見過ごせないのは、千葉県の富津へと向かう米兵の姿だ。まるで戦闘中であるかのように、浅瀬で船から飛び降りて、M1ガーランドを両手に抱えて、陸に向かって集団で突進していく(9月30日)。数十年後、この地に育ったカジヒデキが音楽の道に進むわけだから、要するに僕らはみんな「このときに死ななかった」人々の子孫だということがわかる。表参道交差点にある石灯籠に、空襲のときに焼け焦げた跡が残っているのも有名な話だ。

本書のなかに収録された写真は、そのすべてが米国立公文書館に保存されていたものだ。それを、工学博士であり、都市形成史の研究者でもある著者が、えり抜きで発掘してきた。まさに労作と言える一冊がこれだ。そして我々は知っている、今日においてもなお、ここで東京を高空からとらえた写真の数々を、遥かに上回る能力をそなえた「目」を、アメリカが保持し続けていることを。通信衛星を駆使したネットワークと無人機の運用もそのひとつだ。だから願わくば、もう二度と東京がこのように焼かれないことを、と念じずにはいられない。

僕が一番気に入った写真は、東京湾に面した日清製粉の大きな工場が転用されていた捕虜収容所に、米兵たちが海からアプローチしていくところを撮った一枚だ。建物の屋根などにメッセージが大きく書き付けられて、そこかしこに人が出ている様が見てとれる。「戦争が終わった」という歓喜あふれる瞬間が、そこにはとらえられている。

text: DAISUKE KAWASAKI (Beikoku-Ongaku)

「米軍が見た東京 1945 秋」
佐藤洋一 著
(洋泉社)
2,400円[税抜]