09 2/27 UPDATE
小説の世界に「奇妙な味」と呼ばれるジャンルがある。
ミステリやSFのつもりで読みはじめると、どうも論理的に解決不能な展開だったり、登場人物が変人ぞろいだったり、あまりにも突飛な設定だったりでなんとも宙ぶらりんな印象を残す、そんな作品。まさしく『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』とはそんな味の作品だ。
なんでも原作はF・スコット・フィッツジェラルドだとか。そう、あの『グレート・ギャツビー』の、1920年代ジャズ・エイジの寵児である。翻訳されたものに限ってだが、結構彼の小説は読んでいるはずの僕もまったく知らなかった。道理で。未訳だったのである。まあ、フィッツジェラルドが書きに書きまくった作品は半分くらいが未訳だから仕方ないんだけど、この映画を観れば、"彼も「奇妙な味」の先人のひとりだったのか"という言葉のあとに「!」と「?」が同時に浮かび上がるのだ。
で、この映画化を機に編まれた短編集が今年になってついに出たので(角川文庫)読んでみた。やはりそうか。正解は「!」のほうであった。
原作は実際に読んでいただくこととして、映画版のストーリーを簡単に紹介しよう。......といってみたところで、これがなかなかに複合的で「簡単」には要約しにくい。1918年、第一次世界大戦の終戦の日。ベンジャミン・バトンはニューオーリンズのボタン工場社長の子として生まれるが、その外見も肉体年齢も80歳の老人だった。難産の末に妻が死んでしまったショックもあり、ベンジャミンの父親は錯乱して場末の小屋に捨ててしまうが、そこは偶然にも養老院。黒人の養母は、この醜い赤ん坊も神の恵みと育てることにするのだった。
奇妙なことにベンジャミンは成長するにつれ外見は若くなっていく。やがて彼は養老院にいる老人の青い瞳の孫娘デイジーと知り合うが、17歳になると経験を求めて船乗りに。デイジーはニューヨークへ出てバレエ・ダンサーに。ふたりが再開するまでには第二次大戦という時のうねりがあって......、などという奇想天外な物語が、成長したベンジャミン自身(もちろんブラッド・ピットだ)のナレーションで語られていく(ビルドゥングス・ロマンのタッチだが、基本ホラ話の鷹揚さがある)。しかしそれ以前に映画は、年老いて死の床にあるデイジー(ケイト・ブランシェット)の回想という枠を取っているのだ。さらにそこにデイジーのひとり娘(ジュリア・オーモンド)が、謎を秘めた母親の過去を知るべく残された多くの手紙を読んでいく時間がある。おまけに、戦争で亡くした子供に戻ってきてほしいという願いをこめ、逆回りに動く巨大時計を新駅舎に寄贈した時計職人の話......という全然別のものが、すべての物語を、時空を超えて包みこむ。
盛りこめるだけ盛りこんで、さんざんに観る者をめくらませてくれるこの映画。でもその構成の複雑さこそが観る者の興味を駆り立てる。間違いなく本作はデイヴィッド・フィンチャー史上、もっとも「語ること」の楽しみに傾いた映画だ。グレッグ・キャノムによる驚異のブラピ老けメイクも含め(つまりは徐々にメイクを取っていくわけだ。嫌味だなあ)、フィンチャーらしい映像テクニックの冴えは随所に見られるものの、とにかく彼の語りに身を預けてみるのが正しいだろう。
あ、ちなみに原作からは「老人の姿で生まれた赤ん坊が成長するにつれて若返り、そしてついには...」というプロットを拝借しているくらいのもので、これは見事な膨らませかたといえるだろう。しかし終盤になるに従い、うすら寒く漂ってくる「老い」の空気、残酷にも訪れる生の必然(「老人は子供に還る」とよくいわれるけれど)と抗いがたい甘美さはそっくり原作と同じ匂い。「時」はベンジャミンを、デイジーを、そして20世紀という奇妙な時代を、永遠の渦のなかに呑みこんでしまうのだ。
Text:Milkman Saito
『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』
監督:デヴィッド・フィンチャー
脚本:エリック・ロス
出演:ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット、ティルダ・スウィントン
原題: THE CURIOUS CASE OF BENJAMIN BUTTON
製作国:2008年アメリカ映画
上映時間:167分
配給:ワーナー・ブラザーズ
http://wwws.warnerbros.co.jp/benjaminbutton/
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