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「これからいろ~んなコト教えてあげるからね」なんてふうなセリフ、僕も過去に言った覚えがないではないが、この映画のジェニーちゃん16歳も、傘もないままチェロを抱えて大雨に降られているときに、シックな高級車でスマートに近づいてきた年上男デイヴィッドにいろいろ「教育」されることになる。本作の原題は"An Education"=「ある育」。"the"でなく"an"なのがミソなワケだが、このそっけないタイトルを頭に含めて観ていくと、この映画の味わいはさらに増すはずだ。
舞台は1961年だから、あのスウィンギン・ロンドンの賑わいが訪れる直前のイギリス。ジュリエット・グレコにマイルス・デイヴィス、ジャン・コクトーにサルトルと、フレンチ文化にぞっこんかぶれてる生意気盛りのジェニーだから、ラヴェルの室内楽にジャズ・クラブ、ラファエル前派のオークション......と知的で洒落た大人の世界を立て続けに見せつけられて虜になっちゃうのは当たり前。ジェニーよりはずいぶん年上だとはいうものの、三十そこそこでそれなり以上に金もあり、話術に長けてウィッティなデイヴィッドにも(どこか危険な匂いを感じながらも)もちろん夢中になっていく。ただ彼はユダヤ人なのだが、まだ偏見の強い当時の社会でそれを公言し、いささかも卑下する様子がないのもカッコいい。惹かれ合うふたりだから当然のこととはいえ(なにしろ相手は高校生だからね、かなりヤバい感じなのだが)、17歳の誕生日を待ちあぐねるようにセックスのレッスンも受けはじめる。
そんなわけで、物語のメインは知と性と悪徳(デイヴィッドがマトモな商売してるワケがない)の「人生教育」。でもここで描かれる「教育」はそれだけではないのだ。
まず冒頭のクレジット・デザインが、数式やグラフの線画アニメであるように(モモコ/マガフィンによるもの)「学校教育」ってのがある。おませなジェニーには勉強も男友達も退屈で、デイヴィッドとの交際がバレてからは反ユダヤをあからさまに口にする女校長と対決することに。だが学校には、担任の英文学教師もいる。やがてジェニーに「個人教育」することになる彼女は、いってみれば"あり得るかもしれないジェニーの未来の姿"だ。
そして「家庭教育」。父は娘を"未来への投資"としか考えず、オックスフォードに進学させることしか頭にない。なのに金持ち男が現れると(ユダヤ嫌いのくせに)学校なんてどうでもいいから玉の輿、なぁんて豹変するいわば俗物。いや、デイヴィッドさえ決してまったく王子様ではないのであって、つまり良くも悪くも甘いも苦いもすべて「教育」、多くの他人が示し与えるものを学んで批判して人間はできあがるのだという、まったく教育臭のない教育映画なのだ。
ちなみに本作、今年のアカデミー賞で作品賞・主演女優賞・脚色賞にノミネートされたが、それも当然。日本でも「ハイ・フィデリティ」「アバウト・ア・ボーイ」等で固定ファンの多い小説家ニック・ホーンビィによる脚本は実に秀逸。ジェニーのモデルは英国の人気女性ジャーナリストであるらしく、どこまで事実を引用しているのか判らないけれど、いかにもニックらしい機智と洞察に富んでいるのだ(音楽の趣味もニックの趣味っぽいし)。監督も女性で、『幸せになるためのイタリア語講座』をドグマ・スタイルで撮ったデンマーク人、ルネ・シェルフィグ。そしてそして本作最大の魅力は、驚異の新星キャリー・マリガン! 実は彼女、当時22歳だったというが、とてもそうは見えないあどけなさ。しかし千変万化する表情と感情の機微の表現、そしてラストで見せる「ひとつ悟った」空気も含め、これは知的で冷静な演技プランによるものだと実感できる。「新たなオードリー・ペップバーン」と呼ばれたというのもむべなるかな、私は彼女に惚れました。
キャリーだけじゃない、デイヴィッド役のピーター・サースガード、父親役のアルフレッド・モリーナ、校長役のエマ・トンプスン、担任役のオリヴィア・ウィリアムズ、そしてアプレゲール風の空気を漂わせまくるデイヴィッドの仲間たちも見事な多面体を形作っていて素晴らしい。
Text:Milkman Saito
『17歳の肖像』
監督:ロネ・シェルフィグ
脚本:ニック・ホーンビィ
出演:キャリー・マリガン、ピーター・サースガード、アルフレッド・モリナ、ロザムンド・パイク、オリビア・ウィリアムズ
原題:An Education
製作国:2009年イギリス映画
上映時間:100分
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
大ヒット上映中!
© 2008 AN EDUCATION FILM DISTRIBUTION LTD.