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彼とわたしの漂流日記

彼とわたしの漂流日記

観る者を一喜一憂させる
都会の中の無人島漂流記

10 7/08 UPDATE

手前だけ見りゃ原生林はびこる孤島の光景。でも背後の空には空を衝く高層ビルが......。

よくぞ思いついたものだ、こんなシチュエーション。ソウル市民にとってはあたりまえのように流れる漢江の日常的な景色が、切り取りようによっては抽象性さえ併せ持つドラマの舞台になると看過したセンスがいい。共同監督というかたちで『ヨコヅナ・マドンナ』('06)を手掛けたイ・ヘジュン監督の単独デビュー作だが、なかなか素晴らしいじゃないの。いまや韓国......いや、世界の映画の明日を担う作家に成長したポン・ジュノが『ほえる犬は噛まない』で衝撃デビューした頃をちょっと思い出したぞ(そういえばふたりは『南極日誌』の脚本に名を連ねている。映画はつまらなかったが)。
 
原題『キム氏漂流記』が示すように、主役はアラフォーサラリーマンのキムさん。突如リストラされ再就職はならず、彼女にもフラれてヤケになり、積もりに積もったサラ金ローン2億ウォン。絶望した彼は橋から漢江に飛びこんだ。
 
けど失敗して、目覚めれば孤島の浜辺!......のように見えたものの、そこは大河の真ん中に浮かぶ無人地区パム島だ。ソウル中心部は目の前だけど、携帯は壊れ、大声で叫んだって届きはしない。真上には自動車道、その橋脚も島に突っ立ってはいるが登るのは不可能。観光船が近くを通るが、発見されても誰も漂流者だと思ってくれない。泳いで戻れなくはない距離だからだが、あいにくキムさんはカナヅチである(笑)。
 
ただひとり、キムさんの"漂流"に気づいた者がいた。対岸のマンションの一室に3年間引きこもっている、ひとりの女性。彼女もある意味漂流者なのだが、引きこもってはいるもののそれなりに毎日のリズムを律して生活し、「健全な現実逃避」を心がけている。そんな日課のひとつが月の写真を毎晩撮ることだ。
 
彼女の好きな「月の時間」が地球に現れるのは、半年に一度ソウルで行われる空襲訓練の20分間。世界から人の姿が消え、引力が小さくなった気がして心地良い。そんな無人の街を望遠カメラで眺めていると漢江の真ん中の砂浜に「HELP」の文字が。やがて毎日、地球外生命体を観察するようにキム氏ウォッチングを日課に加える彼女だったが......。

漂流生活が長引くにつれ、絶望からささやかな喜び(たとえばサルビアの甘ぁい蜜とか)を見い出したキム氏、「すべてOK、人生が楽になりました」と開き直るや、漂着したインスタントのジャージャー麺の袋に残った粉末ソースに、今までジャージャー麺をないがしろにしてきた自分を悔いて、やおら土地を耕作、「僕にとってジャージャー麺は希望だ」とトウモロコシを栽培し始めたりする(笑)。いつしか砂浜の文字は「HELLO」に変わり、ついに観察者の彼女が引きこもりの禁を破って直接メッセージを送る(もちろん漂流ものですから"メッセージ・イン・ア・ボトル"!)、というアクションに出ることで物語はおかしみを増していく。そして都会の漂流者ふたりはいっさい顔を合わせぬまま、恋とも呼べる関係に近づいていくのである。
 
ほぼふたりだけの登場人物しかいない映画だが、こうした漂流生活のちっぽけなディテール、それに彼と彼女のダイアローグが実にいいのだ。「彼女」を演じるチョン・リョウォンの浮遊感もいいけれど、やはり凄いのはキムさんを演じる演技派チョン・ジェヨン(『シルミド』『トンマッコルへようこそ』)。そうとう超現実的なシチュエーションなのに、観る者をキムさんの境遇に引きこんで一喜一憂させてくれる。そして何よりイ・ヘジュンの軽快にして繊細な感覚に今後大注目! である。

Text:Milkman Saito

『彼とわたしの漂流日記』

監督・脚本:イ・ヘジュン
出演:チョン・ジェヨン、チョン・リョウォン
原題:Castaway on the Moon
製作国:2009年韓国映画
上映時間:116分
配給:CJエンタテインメント・ジャパン

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