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悪人

悪人

真の悪人は誰なのか、
ダークな現実が引き起こす逃避行。

10 9/27 UPDATE

寡黙な映画だ。

いや、台詞が少ない映画なら他にもいっぱいあるだろう。確かにイントロダクションにあたる10分ほどはほとんど台詞がないが、映画全体としてみれば極端に少ないというわけでもない。僕がいうのは台詞の多寡ではなく、肝要なところは台詞ではなく映像で語らせる......キャメラや美術や照明や俳優の仕草・佇まいで語ろうとする......という「映画的表現」への執着である。妻夫木聡が深夜のガス・ステーションで給油したあと猛然とクルマで走り出す、というだけの冒頭のシークエンスにしてみたところで、夜の青い闇、GSの緑のライト、車内でその闇の中に沈む金髪の妻夫木聡、彼が取り出す赤い携帯電話......などというコントラストの強い、しかし決してこれみよがしではない色彩で主人公の焦燥感、煩悶を表現してみせる。物語はまだ始まっていないから、彼がどういう男なのか観客は判らないが、その不穏な夜の空気と携帯に保存されたベッドの上の女の動画だけで、観客をさまざまな想像に駆り立ててみせるのだ。

監督は李相日(リ・サンイル)。一般的には『フラガール』('06)の大ヒットで知られる彼だが、テーマ性は本作と共通項があるもののいかにも大衆的エンタテインメントに徹したあちらではなく、本来は『BORDER LINE』('02)や『スクラップ・ヘブン』('05)のような刃物の鋭さを持つアナーキーな(そしていささか全学連的な。妻夫木くんと組んだ『69』という作品もあったが)作品こそ本領といえるだろう。本作のダークな切れ味もまたタダ事ではないが、ここでは同時に骨太なエンタテインメント性も見事に獲得しているのだ。

物語はこの妻夫木扮する祐一と、深津絵里扮する光代との物語に収斂していく。修一は長崎の漁村に住む土木作業員。金色に髪を染め、クルマに贅沢をしてはいるが、祖父母(樹木希林、井川比佐志)を介護し、それだけでなく村の老人の世話までみる寡黙な"好青年"だ。光代は佐賀の国道沿いにある紳士服量販店の店員。恋人もなく、出会いのきっかけもなく、妹と二人暮らしの家と職場を往復するだけの平凡極まる退屈な毎日。映画はふたりの住む田舎町のリアリティ(種田陽平ならではの細部にまでこだわったハイパーリアルな美術が炸裂)、些細な日常描写(雨の中、田んぼの中の道を自転車で出勤する光代の絶対的寂寥感!)を執拗なまでに積み重ねていくことで、出口の見えない倦怠感・生きているという実感さえ失わせる孤独感をじりじりとあぶり出していく。

住むところも、生活も違うふたりだが、しかし接点があった。それが出会い系サイト。ある日、地元で祐一と会うことにした光代は、祐一にストレートに誘われるがままラブホに入り、いきなりセックス。このあたりのふたりの行動のぶっきらぼうさ、コミュニケーション下手さも実にリアルであるが(妻夫木&深津はラストに至るまで、まさに切羽詰まった人間の表情をヴィヴィッドに表現しきっている)、あろうことか祐一は別れ際に数万円を差し出すのである......つまり祐一には以前、やはり出会い系で知り合い、落ちあってセックスするたびに金を渡していた"彼女"がいたのだ。

福岡の保険外交員・佳乃(満島ひかり)。しかし彼女はこの時点ですでに殺されている(実は光代の登場は映画が始まって30分あまり過ぎてからだ。けっこう大胆な構成!)。佳乃はそうしてたびたび祐一と"出会い"ながらも、同僚に"付き合っている"と吹聴しているのは肉体労働者の祐一ではなく、温泉旅館の御曹司で大学生の圭吾(岡田将生)だ。しかし久留米の田舎から出てきた佳乃は、圭吾にとって"身分違い"、下半身のユルい、使い捨ての女でしかない。ともあれ、佳乃と祐一が待ち合わせた場所に、偶然圭吾が通りかかったときから悲劇は始まった(祐一に怒りがよぎるたびに低く響くノイズ。そしてミニマルな音楽。久石譲の原点回帰を思わせるいい仕事だ)。

他人が他人を見下し、見下された者もまた見下すべき別の他人を見つけ、見下すことでアイデンティティを保とうとする。この格差社会の永遠の悪循環。その中心にいるのはこの映画の場合は佳乃であって、この一年あまり「怪演女優」の名をほしいままにしてきた満島ひかりの、その真価を見せつけるような「中の下」((C)『川の底からこんにちは』)っぷりがまた凄い。事件の直前、お山の大将・岡田将生が彼女に罵倒の限りを尽くすところなど、まあ確かに階級差別的で性格最悪なヤツではあるけれどアンタの言うことももっともだと引きつりつつも爆笑してしまったワタシであるが、やがてそんなワタシはざばっと冷水を浴びせられることになるだろう。娘を殺した"真犯人"を執拗に探り、岡田を追いつめた父親(柄本明)はこう吐き捨てる。「そやって、ずーっと人の事ば笑うて生きていかんね!」。

こうした意地悪さ(間違いなく満島と岡田のくだりは笑えるように演出されている)こそ李相日なんだなあ。いったい誰が「悪人」なのか。祐一や圭吾や佳乃が「悪人」なら観てるお前も悪人なんじゃないの?

誰もが現実とがっちり向き合わないこの時代。祐一と光代にしたってアゲインストの風吹きまくる灯台に「逃避」する。でもこんな階級主義的な、インモラルな世界に巻き込まれることなく反抗を貫くには、逃避もまたいち手段なのではないか?......灯台という象徴的なロケーションとともに、いささかセンチメンタルではあるけれど一縷の希望をのぞかせるのは鬼の作者の優しさというものかな。

Text:Milkman Saito

「悪人」
原作:吉田修一(朝日文庫刊)
監督:李相日
脚本:吉田修一、李相日
音楽:久石譲
出演:妻夫木聡、深津絵里、岡田将生、満島ひかり、樹木希林、柄本明
製作国:2010年日本
上映時間:139分
配給:東宝

http://www.akunin.jp/

© 2010「悪人」製作委員会