10 11/11 UPDATE
冒頭からむせかえるような弦楽の響き。ゆっくりと、青い水の底に沈んでいく全裸の男。
死の恐怖と陶酔がないまぜになった「水死体」というモチーフが美術史、そして映画史にもあるが、これもまたその列に加えていいだろう官能的な美しさだ。
とにかくこの映画、そんな感覚的・視覚的な刺激に溢れている。なにより画面そのものの色あいが、主人公ジョージの「意識の流れ」に伴って微細に、あるいはドラマティックにうつろうのだ。もちろんデジタルな色操作ではあるけれど薄っぺらくはならず、あくまで端正・スタイリッシュ。それは「他人が望む自分の姿」で常にあるべく、シックなスーツに身を固めて毎朝出社しながらも、内面は不安定に揺れ乱れるジョージというキャラクターともシンクロする。
そんな主人公を、観る者はどうしても監督自身と重ねてしまうだろう。トム・フォードといえばファッション・デザイン界の異才にして策士、グッチやイヴ・サンローランをクリエイティヴ・ディレクターとして再生させた立役者だけど、とりあえずトムも、そしてジョージもゲイであるからして。
ただし、ジョージは16年間、グラスハウスでともに暮らした(ということは、ゲイであるというのを隠していなかったということだ)パートナーを事故で亡くして以来、その喪失感から立ち直れないまま、まさに今日ピストル自殺を決意しているのだが。
いや、なにもトム・フォードにそんな過去があるってワケでは多分、ない。そもそも本作にはやはりゲイの作家クリストファー・イシャウッド(ミュージカル『キャバレー』の元ネタの作者でもある)のれっきとした原作があって、こちらはずいぶんと自伝的らしいが、そうしたセクシュアリティにまつわる障碍も含め、いずれにせよタダ事ではないシンパシーを抱いているのは間違いないことだろう。しかし、残念ながら(?)どうしようもなくヘテロな筆者にとっても、ジョージの苦悩には迫真性がある。というかこの映画はまずミドルエイジ・クライシスについての作品なのであるからして、筆者にとってもヒトゴトではないのだ(笑)。
テニスコートの若い肉体に心はときめくもののいまひとつ行動に移す気力が出ない。積極的に近づいてくるひとりの教え子(男性である)にだって、すぐにどうこうしようという気分にはならない。愛する者を失った喪失感はまずはきっかけであって、キューバ危機のさなかという時代の陰もそこに加わり、ジョージは完全に負のループに陥っているのだ。
そんなジョージを演じるコリン・ファースがまず凄い。本作でオスカーにもノミネートされたが、まったくもって当然の演技である。恋人の死の報せを電話で受けるシーンなんて、その心の震えがあまりにヴィヴィッドに伝わり、こっちまで動揺してしまうほど。さらにジョージとかつて恋人関係にあった女(つまりジョージはバイセクシュアルなのだ)との長いシーンも見応えたっぷり。ともにロンドンからアメリカへ渡り、別れてもなお近くに住まいしてきた、このふたりの関係性も非常に面白い。「彼氏との愛はワタシとの愛の代用品だったんじゃないの?」なんて口にして本気でキレられるジュリアン・ムーアの哀しさったらないのである。
......そう、性別など二の次。要は愛なのだ運命的な結びつきなのだ。このメロドラマ性ゆえ(ちゃんと苦悩からの解放という展開も用意されている)、人工的な色彩処理も甘美な効果を発揮して、まるでダグラス・サークかデイヴィッド・リンチかヒッチコックかといった、現実よりも真実な夢の世界が展開する。こりゃどうも、本物の映画作家が出現したという予感がするぞ。
text:Milkman Saito
『シングルマン』
監督:トム・フォード
脚本:トム・フォード
出演:コリン・ファース、ジュリアン・ムーア、マシュー・グード、ニコラス・ホルト
原題:A Single Man
製作国:2009年アメリカ映画
上映時間:101分
提供・配給:ギャガ
新宿バルト9ほか全国にて公開中
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