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混乱の60年代を描いた映画。
時代の中で旗を握ろうとした若者が出した答えとは。

11 6/06 UPDATE

"撮れば傑作"状態がすっかり普通のことになってしまった山下敦弘監督。僕にとっては日本映画でもっとも興味深い作家であり続けているが、実際に起こった出来事を扱うのは今回がはじめてだ。しかも舞台は1971年、日本を席巻した学生運動の嵐が終焉を迎えた時期という(関係者たちがゴマンと存命しているということも含め)何かとヤヤコシイ時代。原作は、映画評論・文芸評論で有名な川本三郎のドキュメント的なエッセイで、当時週刊誌記者だった彼が深く関わることになってしまった自称活動家の自衛官殺人事件、いわゆる「朝霞自衛官殺害事件」がメイン・テーマである。

主演は(これも山下映画にしては珍しく)妻夫木聡&松山ケンイチという当代きっての売れっ子俳優。妻夫木がいわば川本氏にあたるジャーナリストの沢田、彼を事件に巻き込み利用する自称活動家・梅山(本名・片桐)に松山、という配役だ。これがまた、ぴったりなのである。

物語は、身分を隠して街の片隅のあやしげな商売に「潜入ルポ」する新人雑誌記者・沢田の姿からはじまる。「ぜったいに大きくならないテーブルウサギ」なんてのたまいつつ普通のウサギの子を売ったりする、都市の底辺のヤバい商売ばかりに潜入するのだが、そんな人々にも確かにある義理と人情を我が身で体感するたびに「後ろめたさ」を沢田は感じるのだ。うらぶれて生きる彼らと人生を共有したいという思いと、ジャーナリストとしての客観性とのはざまで悩むわけですね。

そんな沢田の「後ろめたさ」の背景には1968年、東大安田講堂陥落の記憶がある。東大生だった彼はすでに就職していたが、それでも同世代の仲間たちがあえなく挫折していくさまを安全地帯から黙って見るだけで、闘争に自ら飛び込んでいけなかったことへの後悔があったのだ。でもそんな沢田の悩みは先輩記者には解ってもらえず、「なに青臭いこと言ってんだ」「ただのセンチメンタリズムじゃねぇか」と一笑に付されるのがオチだった。

そして1971年。全共闘運動は崩壊の一途をたどり、大衆の支持を失った活動家たちがより直接的な武装闘争に走りはじめる時代がやってくる。そんなとき、沢田の慕う先輩記者が、過激派組織の幹部を名乗る男からタレコミを受けた。なんだか怪しげな話だ、と思いながらもふたりの記者は、人目に触れない場所にある沢田の自宅の離れで取材を試みる。彼らの前に現れたのは"梅山"なる男。「武器はすでに奪取している。すぐに一斉に行動を起こす」などと勇ましく語る"梅山"だが、先輩はすぐに「ニセモノ活動家だ」と断じる始末。しかし安田講堂への後ろめたさが残る沢田は、自分の部屋にあった宮沢賢治の本に反応し、ギターを手にしてクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァルを歌いだす"梅山"にどうしようもなくシンパシーを抱いてしまうのだ。

果たして、先輩が調査してみると"梅山"はやはりニセモノ。「赤邦隊」などと名乗ってはいるが、アパートの一室を"アジト"にたった3人でじくじく集まってるだけの弱小集団のリーダーに過ぎなかった。その事実を確かめようとした沢田だが、"梅山"は逆に自分がホンモノである証拠を見せると言い出す。案内されたアジトには、赤いヘルメットや包丁、アジビラなど「行動を起こす準備」の品が転がっていた......。

胡散臭さを感じながらも、いやニセモノであることすらなかば確信しながらも"梅山"への興味を失えない沢田。やがて、ひとりの自衛官の血が無意味に流されるという"嫌な感じのする事件"の片棒を自ら担いでしまう沢田。......彼の心境はどう考えたって不可思議だし、その時代を知らないものには滑稽にさえ見えるだろう。山下&向井康介の監督脚本コンビよりひとまわり上の世代にあたる僕だって理解しがたいもんな。ましてや、まだ34,5歳の彼らにあの時代の熱さや独特に肥大した論理、時代の空気がその時代の人間に与えた"化学変化"はどう考えても納得できかねるものがあったろう。

しかしこのコンビは「何ものかになろうとしてなれない人々」を何度も描いてきた。彼らは、そちらにこの不可解な物語を引き寄せているのだ。ナイーヴすぎる沢田は「時代の理想を共有して、熱く生きようとしたかったが生きられなかった」人物であり、「ジャーナリストになろうとしたが客観性に徹することのできなかった」男。また沢田と対照的に、図々しく胡散臭い梅山も「ホンモノの運動家になりたくてももう大きな祭りは終わったあとで、結局ニセモノにしかなれなかった」男。そんないかがわしい輩であっても、少なくとも傍観者から脱し、行動を起こそうとはした"梅山"に沢田は負い目のようなものを感じているのだ。

そんな卑小で滑稽な、ある意味過去の山下映画に通ずる人物たちだが、今回の山下敦弘は彼らをいつものように笑いとばすわけでは決してない。ま、松ケン一味の「赤邦隊」の部分にはおなじみのテイストがないではないが、とりわけ「後ろめたさ」に振り回されつづける沢田の感情には真摯に食い下がろうとしているのが好ましい。この理解不能で不可解な時代をあえて扱うにあたっての覚悟のようなものが感じられるのだ。トレードマークの引きの画よりも、今回はアップを多用しているのもその表れだろうし、それらの試みのすべてはエピローグの妻夫木の演技に集約されている。

実は観客はそこに至るまで、『ファイブ・イージー・ピーセス』のジャック・ニコルソンや『真夜中のカーボーイ』のダスティン・ホフマンへの言及によって、この映画が「泣く男」についての映画だとあらかじめ予測させられるわけだが、決してストレートに導いてみせるわけではないのが山下敦弘の巧いところ、というかズルいところ(笑)。あ、そうしたシーンで決定的な鍵を握ることとなるのが忽那汐里。そうだ、山下敦弘は少女を撮る名手でもあったっけな。

text:Milkman Saito

監督:山下敦弘
脚本:向井康介
出演:妻夫木 聡、松山ケンイチ、忽那汐里、石橋杏奈、韓英恵、中村 蒼、長塚圭史、山内圭哉、古舘寛治、あがた森魚、三浦友和
制作:2011年日本映画
上映時間:141分
配給:アスミック・エース

5月28日(土)より新宿ピカデリー、丸の内TOEI他全国ロードショー

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