12 11/01 UPDATE
とりあえず、シルバー世代向け映画じみた邦題は忘れよう。なんたって原題は「ティラノサウルス」なのだ。もちろん恐竜映画ではない。......いや、内からの凶暴性に振り回され、環境の変化の中で滅んでいくマッチョな前時代の生物を描いているという意味で、ある意味「恐竜映画」なのだが。
開巻いきなり、何が癇に障ったのか、ノミ屋で火がついた激昂を収められず、連れてきていた愛犬を蹴り殺してしまう五十やもめの酔っ払い。それが主人公ジョセフだ。彼は冒頭数分のうちに連続的にトラブルを起こす。悪ふざけして邪険にされた店のウィンドウを粉砕する。バーで騒いでた若造に無闇に突っかかる。それでお礼参りされて傷ついた自分を手当てしてくれた慈善リサイクルショップの女店員にさえ陰湿でセクハラな罵倒を吐き散らす。
まぁ、根っからの悪人でないのはさまざまな行動からも察せられはするのだ。蹴り殺した愛犬を涙にむせびつつ葬ったり。その愛犬の家がわりにしていたトタン小屋を轟音響かせてぶっ潰し、その残骸の上にずっと座り込んだり。むかし一緒に極道やってたと思しき悪友を最期まで看取ったり。母親が引っ張り込んだチンピラ兄ちゃんそのものの義父に毎日猛犬をけしかけられて怯えている向かいの家の少年と、唯一心が通じ合うのもジョセフだけ。
しかし怒りと後悔を際限なく繰り返し、また酒に逃げるジョゼフは、さすがに悔い改めるにはもう遅いぜと言いたくなる。演じるのは英国労働者階級のろくでなしを演じれば他の追随を許さない俳優、ピーター・ミュラン。なんたって顔つきも荒んでいるし(本人は映画監督としても活躍する知性派なのだけれど) 、歩きっぷりもどこかしらティラノサウルスっぽい。しかも話が進むうちに判るのだが、「ティラノサウルス」とは実はジョセフを指すものではないのであって、またその理由がこの男が最低であったことを示すのだが。
ミュランがこういう役柄を演るとなれば、ケン・ローチ監督の『マイ・ネーム・イズ・ジョー』('98)が思い浮かぶ。本作の監督パディ・コンシダインは本来俳優として活躍しているが、これが長編処女作。なんでもジョゼフは彼の父親がモデルだというし、ケン・ローチを「もっとも尊敬する作家」と表明してはいるらしいが、その迫力たるや『~ジョー』を含め、近年の弛緩したケン・ローチ作品に比べるべくもない。
そんなジョゼフの心を徐々に癒していくのが、彼に罵倒され傷ついたはずな慈善リサイクルショップの女店員ハンナ(オリヴィア・コールマン)なのである。彼女はホワイトカラーの夫(エディ・マーサン)の屈折した凶暴性に苛まれていて、それはある意味ジョセフより陰湿でタチが悪いものなのだ。
......とまあ、物語を要約するとなんとも気の滅入る話。俳優たちの面構えが実に役柄相応で、その表情の下にうごめく感情の機微を捉えきるキャメラも素晴らしいからだが、常に肉体的・精神的な崩壊が目前に迫っているかのような危険な香りが漂う映画だ。その苛烈さは手綱を緩めることなくラストまで続き、安易なハッピーエンディングを迎えることはない。
それでもなんだか、この映画は爽やかなのだ。それはもちろん「かたくなな男の心を溶けさせていく女」という、いささかロマンティックな夢(それも所詮は夢でしかないが)があるからではある。だがこの最低な、絶滅すべきティラノサウルスに、間違いなく作者の愛が注がれているからなのだろう。
text: Milkman Saito
監督:パディ・コンシダイン
製作:ダーミド・スクリムショー
脚本:パディ・コンシダイン
キャスト:ピーター・ミュラン、オリビア・コールマン、エディ・マーサン
原題:Tyrannosaur
製作年:2010年
製作国:イギリス
配給:エスパース・サロウ
上映時間:94分
レイティング:PG-12
全国順次絶賛公開中!
http://tyrannosaur-shisyuuki.com/
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