honeyee.com|Web Magazine「ハニカム」

Mail News

THINK PIECE

MUGONKA

中国で封印された実話をもとに製作された
世界映画の旗手、ワン・ビン監督の最新作。

11 12/7 UP

text:Sawako Akune

1960年、中国西部・ゴビ砂漠の収容所。荒涼たる土地で過酷な労働を強いられ、極限状態のなかで生死と向き合う人々の姿が胸を穿つ……。中国の真実の姿をえぐり出すドキュメンタリー作品で、世界中の注目を集めてきたワン・ビン監督。新作『無言歌』は自身初のフィクション作品で、多くの生存者たちの証言に基づいて、1950年代の終わりから60年代にかけて毛沢東が行った反右派闘争の封印された実話を映画化したものだ。現在もなお中国本土での上映は禁じられているという本作の背景を監督が語った。

ワン・ビン

1967年、中国・西安生まれ。2003年、軍需工場のある街とそこに生きる人々を描いた9時間を超えるドキュメンタリー『鉄西区』で、山形国際ドキュメンタリー映画祭をはじめ、リスボン、マルセイユ、ナントで最高賞を獲得する。続いて「反右派闘争」の時代を生き抜いた女性の証言を記録した『鳳鳴(フォンミン) 中国の記憶』を発表、2度目の山形国際ドキュメンタリー映画祭最高賞を受賞する。以降も14時間に及ぶ『原油』、ペドロ・コスタらとのオムニバス『世界の現状』など作品発表の度に世界から称賛を集めてきた。

 

──
今回テーマに選ばれた「反右派闘争」について、今一度お話しいただけますか。
「1949年に中華人民共和国を建国した毛沢東は、56年からソ連でスターリン批判が始まったことなどを契機に、「百花斉放・百家争鳴」と呼ばれる、“共産党への批判を歓迎する”運動を推進したのです。以降、知識人の間で中国共産党に対する批判が出るようになると方針を変更し、党を批判した人々を容赦なく粛清し始めました。これが「反右派闘争」で、右派分子とされた人々が収容された再教育収容所では、熾烈な状況のなかで多くの死者が出ました。以前から「反右派闘争」については知っていましたが、この運命に翻弄された人々を描いた楊顕恵さんの小説『告別夾辺溝』に出会い、さまざまな資料を集めたり、収容所の生存者の方々に詳細なインタビューを行ったりして、当時の具体的な姿を知ったのです」
──
映画化されたのはゴビ砂漠の収容所でした。過酷すぎる環境と労働に力尽きていく人々の姿とは裏腹に、ゴビ砂漠の空が青く澄み渡っていたのが、悲痛さを強調していたように思います。
「撮影を行ったゴビ砂漠は、ほんとうに全く何もない土地。クルーが物資を調達するのも一苦労で、かなり遠くまで行かないと何も手に入りません。撮影は秋から冬にかけて行ったのですが、冬は日中でもマイナス10℃、夜はマイナス20℃にもなるんです。ここで労働を強いられた人々は、どんなにか苦しい思いをしながら命をすり減らしていったのか。想像するにつけ強い気持ちを抱きました」
──
日々の糧に困窮するなか、人々は衝撃的な行動に出ますね。そういった残酷な人間の姿と同時に、自らもひどい苦しみにあるのに、他人に信じられないような優しさをかける人間の姿もまた描かれていました。人間はああまで両極をもつものなのでしょうか。
「現在の視点から振り返ると、衝撃的な行動に映るのでしょうが、ああいった事実が本当にたくさんあったとリサーチの過程でも聞きました。あの時代、あの場所は、人々をあそこまで追い込んでしまった。それは本当に恐ろしいこと。人間はやはり動物なのだ、とわたしは強く思います。ゆっくりと時間をかけて文明を築いてきた私たちは、それでも時として動物的な本性を露わにしてしまう」

 

──
性善説と性悪説、監督ご自身はどちらの立場ですか。
「私は性善説を信じています。しかし人類の数千年の歴史のあいだ、暴力は絶えず存在してきましたし、さまざまな国が今も抱え続けている問題の原因は、人間が暴力を捨てられないところにあるのだと思います。人間というものは急進的になりがちで、いち個人の理想が大きくなりすぎて、取り返しのつかない災難をもたらすことがあるのです。そういう例は歴史上、枚挙にいとまがありませんよね。人間と暴力の問題はどうやって解決するべきなのか。それは私のなかでも未解決のままに残っています」

──
監督は中国に身を置きつつ、その状況を俯瞰し、歴史に対して公平に向き合う視点を一貫して持ち続けられています。その視点はどのようにして培ってこられたのでしょうか。
「映画をつくりはじめるスターティングポイントは、自分の身の回りを観察することでした。人々の暮らし、あり方を見つめ続けていくうちに、彼らの置かれた状況の問題点が見えてくる。それが最初の作品『鉄西区』(2003年)につながったのです。その後も撮り続ける、すなわち観察を続けていくことで、人々の周囲を取り巻く問題が、ひとつずつ明確に見えてくるようになってきました。社会が抱える問題は、そうやって徐々に見えてきたのです」
──
「反右派闘争」を扱った本作は、中国ではいまだ上映禁止だと聞いています。そのことにはどんな思いを抱いていますか。
「このテーマの映画が中国で上映されることはありえない。それは私としてもよく分かっていたことです。だからロケも情報をもらさず、慎重かつ秘密裡に進行しました。国内では上映がなされないのは、『鉄西区』以降の私の作品はすべてそうだし、その状況をどうしても変えたいとも、実は思っていません。中国国内では海賊版がよく出回っているようで、興行や権利の面からみるとそれはいいことではないのでしょうが(笑)、観てくれる人が必ずいることには変わりはありませんから。逆に、中国で上映されないことで、表現的に自由になる利点の方が大きいのです」