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THINK PIECE

Being Borings-Kenji Takimi & Tomoki Kanda

瀧見憲司と神田朋樹による新ユニット「Being Borings」

12 9/12 UP

photo: Shoichi Kajino text: Tetsuya Suzuki

もはや、くどい説明はいらないだろう。
90年代から国内音楽シーンを“縁の下”から支え、さらに昨今では海外のエッジィなクリエイターとの“共闘”により、
世界的なダンスミュージック・シーンをリードする重要レーベルと認識される“Crue-L Records”。
その“Crue-L”の総帥・瀧見憲司と参謀・神田朋樹による“アブストラクト・ディスコ”ユニット
“Being Borings”がついにアルバムをリリース。

 

──
今回リリースされる「ESPRIT」は、Being Boringsの“デビュー・アルバム”なわけですが、サンプリングを多用したアブストラクトな音像と、ミニマルでありながらファンクネスを感じさせる独特のグルーヴ感、そして、時折覗くメランコリックなメロディの感覚は、やはり、瀧見さんのプロデューサーとして、そしてDJとしてのキャリアの集大成的なものを感じます。また同時に神田さんの音楽的な構成力とサウンドプロダクションの的確さも印象に残ります。制作に入るときには、こうした“サウンド”として完成されることは、あらかじめ意図されていたのでしょうか。
瀧見憲司(以下: T )
「イメージとしてはあった。今、自分にできることとやることは何かと考えると、やっぱり、こういう偶然性のレイヤーに整合感と奥行きを加えた音楽になる。DJ Mixされた状態の複数の曲やイメージをひとつの楽曲に視覚的情景を換気させつつ落とし込むっていうね。そのためには神田(朋樹)とやるしかないというか。もう、一緒にやれる人、この人とだったら大丈夫だろうっていう人が神田しかいないからね(笑)」
神田朋樹(以下: K )
「瀧見(憲司)さんは、やっぱり他の人とは違いますからね。DJというか、クリエイターとしても変わっているタイプなんだと思う。もちろん、瀧見さんのDJは好きだし、DJ Mixとかもよく聴いてもいたわけですが、リミックスを手伝うようなことをしているうちに、瀧見さんの面白さというか、瀧見さんのDJプレイのときの独特な音の重ね方をひとつの作品として再現したいなと考えるようになって。今はコンピュータで音楽を作ったり演奏したりする人が多いけれど、ターンテーブルのようなフィジカルなものを使うから、瀧見さんの、あの独特の雰囲気が出るのかな、って考えながら作ってみたり」
──
そこは、音楽制作における方法論の部分ですよね。でも、それ以上に瀧見さんはコンセプトというか、音楽に対するアティチュードみたいなものへのユニークさやオリジナリティも重視しているわけですよね?
T
「もちろん。というより、社会に対して、あるいは、世界に対してどうあるべきか、というのを常に意識しているから」
K
「あ、もう他のDJとかシーンに対してとかではないんだ(笑)」
T
「もちろん、他のDJや音楽シーンに対してというのもあるけれど、その根底に『社会とか世界に対して』という意識は常にある」
K
「まあ、とりあえず、音楽に関して言うと(笑)、瀧見さんの求めている音を実現するのを手伝うという感じは、やっぱりあって、ただ『こうしたいんだけど』っていうのを僕が理解できれば手伝えるんですけど、わかんないと手の施しようがないわけですよ(笑)。それを『わかる』っていうのも大事というか、わかるようになってきましたね。それは年齢的なこともあるかもしれないけれど、自分のエゴを優先するのではなくて、お互いの足りない部分を補い合うのも必要だなと……」

 

T
「そうそう。そう意味では完全にバンドなんだよね。この人がそう言うんだったら、それでいいんだろうって納得できるというか。もう、そういう人ってあんまりいないからね……。まあ、読者には関係ないけど(笑)」
──
いや、そんなこともないですよ(笑)。というより、瀧見さんも神田さんも、音楽作品の制作に関してプロデューサー的なかたちで参加することも多いわけですよね。でも、このBeing Boringsに関しては2人が主体となって、自らのコンセプトや価値観、ポリシーで作られた音楽を世に問うことになる。
T
「もちろん。それに関しては、すごく自覚しているというか、そういう部分も含めて自信作というか。特に豪華ゲストもいないし。音楽とか”音”自体に興味がある人だったら、テイストやジャンルや好き嫌いを超えて誰にでも引っかかるポイントが絶対あると思うし。一般的に音楽の聴かれ方って、突き詰めれば“歌”か“音”のどちらかを聴いていることになると思うんだけれど、“音”を聴いている人なら、その音響工作的な部分で、絶対に引っかかってくるところがあると思う。そのうえで、いわゆる“歌”とは違うけれど楽曲性の部分でも十分、“聴ける”と思うし。後、時代性というところではやはり音のテクスチャーが重要なので、そこはかなり詰めてます」

──
つまり、いわゆる「ダンストラック」の枠に収まらないものになっている、と。
T
「うん、それは間違いない。さらに言えば、自分のなかでクラブミュージックというより、DJやノン・ミュージシャンが作る音楽の最高到達点というのがいくつかあって、Massive Attackの1stとか、Beats InternationalやDaft Punkの1st、Avalanchesのアルバム、最近だとQuiet VillageやTheo Parrishであったり。そうした音楽の系譜に連なるもののアップデート版を自分で作ろうと思ったわけでね。存在が連なるものというか。それらに共通しているものって、ティピカルな音楽理論で作られたものではなくて、時代や場の精神性を内包しながら、更に“過去に開かれている”っていうことなんだと自分は思っている。サンプリングをしていても、時代性や雰囲気だけを持ってくるんじゃないというか。Being Boringsのアルバムでもサンプリング・シンフォニーというか、サンプリングによるコラージュがかなり深い階層まで達している曲があるわけだけれど、いわゆるサンプルのネタがひとつわかったところで、絶対にこの音は作れないと思うんだよね」
──
基本的にすべてサンプリングで制作されたのですか?
T
「基本的には。スピードが全然違ったり、手で揺らしたりしながらしてるのが多いかな。ただ、もちろんかなりギターやキーボードはかなり弾いてますよ。間に入るものがないと、どうしても噛み合わない場合があるので。それをさっき言ったような感じで神田が適度に読み取ってくれて、そこに楽器でコードや音を有機的に足したり」
K
「他のサンプリングを加える場合もありましたね」