Ryan McGinley “Reach Out, I'm Right Here”
“手を伸ばして、僕はここにいるよ”
ライアン・マッギンレーの写真とエネルギー。
12 9/18 UP
photo: Shoichi Kajino text: Naoko Aono
「Somewhere Place」
©Ryan McGinley Courtesy of the artist and Team Gallery, New York
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- つまり、あなたの写真はファミリー・ポートレイトのようなものですか。
- 「モデルは確かに家族みたいなものだ。似たような音楽や映画に興味を持っている。僕は彼らを「マイ・ピープル」みたいに感じてるよ」
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- ナン・ゴールディンの「拡大家族」とも似ていますね。
- 「確かに彼女の影響は受けているけど、作品はちょっと違う。僕はよく、人に自分のアイデアをよく話すんだけど、誰にでも話すわけじゃなくて僕が撮るモデルとかまわりにいる人、一緒に仕事をする人に話してる。僕はゲイだから、彼らが僕の『拡大家族』になるのかもね。偏見や恐怖の視線で見られたり、アウトサイダーとして扱われることもあるし、みんなが毎日の暮らしで普通に経験するようなことが僕にとっては大きな問題になることもある。そんなときも僕は『拡大家族』と話をするんだ」
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- 若いモデルを選ぶ、ということでしたが、彼らは不安定でもありますよね。それが作品に影響することはありますか。
- 「僕自身も不安定だよ。アーティストはいつも不安定だ。繊細で、感情的で、カオティックで」
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- 以前、自分を守るために写真を撮っている、と言ったことがありますが。
- 「写真を撮るのは僕にとってバリアみたいなもの。対象から自分の身を引き離して、特定のものごとに深入りしすぎないようにしているんだ。僕はカメラで世界を観察したいと思っている。カメラがあれば、危険なことがあってもそれに深く関わらなくてすむ。カメラが僕に世界中旅をさせて、すごい人々に会わせてくれる。そしてものごとがよりクリアに見えてくる。人々がどう振る舞うのか、普通ならどう考えるのか、ものごとをどう扱うのか。もしカメラがなければドラッグに溺れていたかもしれないね」
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- カメラが観察するのを助けてくれるんですか。
- 「そう。僕は完全に観察者だね。でも同時に、参加者でもありたいと思っている。僕自身は丘を転げ落ちたり木から飛び降りたり走ったりはしない。でもカメラを持っているからそのシーンに参加していることになる。そういう事態を誘発しているからね。そうやってどこかに行って写真を撮って、戻ってきて誰かに写真を見せて話すのはすごく楽しい。そこでの経験をシェアできる」
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- あなたの写真は見る人をハッピーにしてくれる、希望に満ちた写真だと思います。
- 「他の人にもそう言われるけど、僕にはよくわからないな。シェパード・フェアリーがオバマ大統領のポスターを作ったよね。空を見上げてるオバマがモチーフになっている。あれは確かに希望に満ちたイメージだ。ほとんど皮肉なぐらいに。僕は自分の写真を希望に満ちた、というより冒険的だと思う。ハッピーに見えるのは色のせいじゃないかな。クリスタルか花のような色があたたかい感情を引き起こす。あたたかさを感じるとハッピーになる。抽象画が人の感情に影響を与えるのと同じような作用だ。僕の写真にはもっといろんな感情が読み取れると思う。好奇心に満ちている、じっと考え込んでいる、茫然自失している、自信たっぷりに蛇を持っているけど傍らの犬はいぶかしげに見ている、というように。非現実的な、『チョコレート工場の秘密』みたいなものもある」
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- 憂鬱になるような写真は撮らない、とも言っていましたよね。
- 「うん。泣いている人とか悲しんでいるところとか、そういう写真は撮りたくない。僕の写真は僕自身の再現だから、自分のそういう側面を作品にすることには興味がないんだ。ジャック・ピアソンみたいに絶望、孤独、同情、望まれない愛情、そんなものに満ちたアートを作っていて、それがすばらしいクオリティのものになっているアーティストもいる。でもそれは僕の世界ではないんだ」