10 12/17 UPDATE
ここのところ、にわかに注目が高まっているようにも見える「日本の戦前ジャズ」研究、その決定版ともいえるのが本書だ。資料性の高さ、読み物としての面白さ、その双方がいいバランスで両立していて、名プレイヤーや名盤の紹介をとおして語られる一大群像劇といった趣きもする一冊となっている。
ところで、どうやら世間には「GHQが戦後の日本にジャズを持ち込んだ」という、頓珍漢な通説が根強く残っているようだ。ジャズ(あるいは、そのほかのアメリカ大衆音楽)は戦勝国から押しつけられたものであり、「日本人」としては、そこに複雑な感情をかんじざるを得ない──とかなんとか、言いたがる人が、おそろしことに、結構いる。文化人や音楽評論家ですら、平気でそんなことを、口にする人もいる。
もちろんこれは大嘘で、明らかに「戦前から」日本の庶民は自主的にジャズを輸入し、享受し、自分のものにしていった歴史があるのだが、どういったわけだか「そこは無視しよう」という偏向した主張が、いろんなところから発せられつづけている、ようだ。
本書がまず粉砕するのは、その「偏向した史観」そのものだ。大正にモボ・モガありき、とはよく言われるが、そもそも「ジャズなくして」そんな風俗が流行るわけがない。世界的な「ジャズ・エイジ」文化は日本にも伝播して、1920年代の東京や大阪といった都市をいろどった。そして「スウィング」を自前のものとしたジャズメンが、いかに戦時中の抑圧を生き延びて、そして戦後の大爆発につながったか......という事実が、豊富な物証をもとに開陳される。どんな時代だろうが、そこにセンスのいい不良がいれば、ジャズならジャズ、ロックならロック、かっこいいスタイルそのほか、そんなものは「いくらでも」国境など超えてしまうんだ、という多数の実例、そのあふれんばかりのバイタリティこそ、本書の読みどころだ。
今日の日本国は、際限なく右傾化し、またぞろ全体主義的国家となりつつある。近い将来、戦争だってあるかもしれない。そうなったときには、僕は本書のジャズメンにならって生きたい。「どんなことがあろうとも」自分の好きな方法で、好きなスタイルで、格好つけていくこと以上の価値が、この世にあるもんか!──そんな声が行間からふつふつと沸き出てくるような、これは「個の尊厳」をこそ描破した一冊なのだと感じた。
text:Daisuke Kawasaki(Beikoku-Ongaku)
「ニッポン・スウィングタイム 」
毛利眞人・著
(講談社)
1,890円[税込]