11 6/01 UPDATE
いまこのタイミングで、本書がふたたび紙の書物として世に出たことを、まずは素直に言祝ぎたい。それが新しく設立された小出版社の第一作であるという点も、意気に感じずにはいられない。ペーパーバック版ということなのだが、版型とその軽み、オリジナル版発行当時の新聞記事ほかを簡潔に記載した裏表紙あわせて、手にしたときの快感が重視されているところも注目だ。あとは、版元およびレビュワーが、何者かに拉致されて虐殺されないことを望むばかりだ(半分だけは冗談)。
日本アナキスト史上における、最大のスーパースター、大杉栄。その彼の絶筆となった一作が本書の原本だ。1922年、当局の監視の目をあざむいて、不法出国した大杉は、上海にて中国共産党創始者や大韓民国臨時政府要人と邂逅、そしてパリへと向かう。目的はベルリンで開催される無政府主義者の国際大会に出席することだったのだが、結局それは果たされず、フランス官憲により逮捕され、日本へと強制送還されてしまう。その直後に起こった関東大震災の混乱に乗じて、大杉はパートナーの伊藤野枝、甥の橘宗一とともに、憲兵隊に拘束され、苛烈な暴行の果てに、三者ともに虐殺され、社会的に注目される大事件となった。「自由で開明だったはずの大正」が完全に終焉し、そして核を投下されて降伏するまで、戦争につぐ戦争がつづく時代が、そこから本格化していった。時代の分節点ともいえる、「大杉殺害直後」に、本書のオリジナル版は出版された。
まずなによりも、「1923年のパリ」における日々の描写を僕は楽しんだ。そこは、フジタがいた時代のパリなのだ。ヘミングウェイとは、ちょっとすれ違ってしまったかもしれないが、フィッツジェラルド&ゼルダとは、かぶったのか、かぶっていなかったのか。ジャズ・エイジ華やかなりしころのパリ──の、もちろん貧民地域に、まずは大杉は潜伏するのだが、その街のありよう、または宿屋の具合などが、彼自身の新鮮な驚きをともなった筆致で綴られてゆくさまが、とてもいい。メーデーで演説をしたがゆえに、ラ・サンテ刑務所に収監されたときにも、誤解をおそれずに言えば、そんな事態をすら、面白がっているかのような風情がある。「ワインの味をそこで覚えた」というのは、それが強がりだったとしても、かなりかっこいいのではないか。また、これも「どこまでが本当なのか」とは思うものの、フランス女性とのアバンチュールも、軽やかに描かれる。
こうしたところから、僕は数多くの知人を思い出す。内弁慶と定義される日本人だが、なかには変わり者もけっこういて、ひょいひょいと国境を越えては、合法非合法かかわらず異邦に居着く奴らは、すくなくはない。音楽やファッション、アートや学術にやられて、日本を「脱出」していく──あるいは、気軽に出入りする──そんなタイプの連中だ。僕の目には、大杉栄はその元祖の一人であるかのようにうつる。なにより、彼は外見がかっこよかった。その相貌もさることながら、スーツの着こなしなど、写真で見る彼の姿は、「この時代のパリに行ったならば」かなり盛り上がるであろう内面を持つ人物であることを窺わせる。ハニカムでブログを連載してほしいぐらいだ。
という内容の一冊なので、彼の思想については、べつの書籍を読まねばよくわからないだろう。ここでは、ただただ「大杉栄」という主人公が、いかにして世界を駆け回ったか、そして、多くの人々と「会った」のかについて、冒険譚のように記されている。通信と交通の手段が、今日とは比較にならなかった時代だから、「障壁を突破する」には多大な行動力が必要だった、とも読めるだろう。しかし僕には、いま現在もほとんど同じであるようにも思える。震災にかこつけて、なぜ突然に「日本は強い国」など、言い出さねばならないのか。被災者、被害者の救済へと向かうべき言辞が、なぜ「がんばろう『日本』」などと、まるで外国人が述べているかのように、すり替えられねばならないのか。それは全体主義ではないのか。大杉栄がこれを見ていたら、なんと言うのだろうか。
本書の背景となった時代と、大正のアナキスト群像をよりよく知るためには、(絶版ではあるのだが)竹中労・原作、かわぐちかいじ画の『黒旗水滸伝』がいい。こちらは漫画なのだが、それゆえにドラマチックで、大杉のカジュアルかつロマンチックな文章を補完するにはよく適してのではないか、と、難波大助と同じ名をたまたま持つ僕は、ここで推薦しておきたい。
text:Daisuke Kawasaki(Beikoku-Ongaku)
「日本脱出記」
大杉栄・著
(土曜社)
999円[税込]