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数10誌まではかぞえたのだが、あまりに多いので、その先はやめた――というほど、膨大な数の「雑誌」がレビューされている、という本がこれだ。対象となっている雑誌のジャンルも、多岐にわたっている。『POPEYE』から『文藝春秋』、『SWEET』から『鉄道ファン』......大きな項目としては、「カルチャー誌」「『読む』雑誌」「メジャーなジャーナリズム雑誌」「趣味の雑誌」「女子雑誌」「ローカルマガジンやフリーペーパー」といった区分けが成されている。
と書くと、「まるで書店の雑誌売り場のようじゃないか」と思うかもしれない。たしかにそうだ。ただし、現実の書店にある雑誌は、時期が来ると返本される。なかには、休刊するものもある。つまり、どれほど強烈なるデザインの表紙でアイデンティティを主張しようとも、右から左へ、「無言で」通り過ぎては消えていくメディアこそ、「雑誌」というものの本質だ。であるなら本書は、やけに口数の多い店員が、売り場じゅうの雑誌を一冊ずつ手にとっては、その魅力やコンセプトを解説し、歴史のなかで変遷していった様を口上として述べている......そんな光景を想像してもらえば、近いのかもしれない。しかも、その店員は、かなり饒舌でもある。
収録されているのは「レビュー」であるから、正しくそれは、批評でもある。だからばっさりと斬られている雑誌も多いのだが、その舌鋒のいたるところに、奥深い愛情があるところ、それが本書の読みどころだ。これだけの数の雑誌が載っていると、僕が原稿を書いたことがある媒体も結構ある。内情を知っているものもある、ということだ。その立場から見て、著者の筆致には「うまいこと言うなあ」と感心せざるを得ない。たとえばそれは、滅法駄目な子供に対しても「決して見捨てずに」叱って伸ばすことばかりを考えている、熱血先生のような態度とでも言おうか。これがひとつの「芸」として成立しているがゆえに、本書はとても読みやく、楽しめる一冊ともなっている。
なにはなくとも「右肩下がり」をつづけるのが昨今の日本経済社会のプロトコールだが、なかでも「紙の雑誌」の凋落ぶりたるや、すさまじい。そんな時代のただなかで、声をかぎりに「雑誌応援団」を買って出ているかのような著者の意気やよし、と言うべきだろう。また本書の作りそのものも、特色とスミの2色使いから、随所にコラムが差し挟まれているという設計まで、「雑誌的」な編集が成されているところも、見逃すべきではない。そして、読み終えたときに気づくべきである、最も重要な点というのが、これだ。
「いかなる電子的メディアであろうとも」過去100年以上にわたって紙媒体が培ってきた「編集という思想と技術」から遠く離れて自立して、驚嘆すべき前進を遂げたものなど、ただのひとつもない、という厳然たる事実だ。音楽の媒体として、結局のところ、いついかなる時代においても、アナログ・レコードが決定的な役割を果たしていることを思い出していただけば、ひとつのアナロジーとして、本書がいま存在する意義を、より強く認識してもらえるのではないか。
時代遅れのノスタルジーではなく、正しく「過去」を見据えた者だけが、まだ来ぬ「未来」へと万全に備えた「現在」をつくることができる。そんな当たり前の文脈に、愚直にまで沿った一冊が本書だ。
text: Daisuke Kawasaki(Beikoku-Ongaku)
「再起動せよと雑誌はいう」
仲俣暁生・著
(京阪神Lマガジン)
1,365円[税込]