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写真とレイアウトがいい。たとえば表紙、黒いバックに浮かび上がる和菓子の、ほの白く淡い桜色から艶やかなピンクへのグラデーション。このコントラストとトーンと通じるものが全編にある。本書は、200種以上の京都の和菓子を取り上げ、その由来、そこにつながる季節の風土記や行事などをも同時に紹介していく、というもの。わかりやすい和菓子図鑑であり、和菓子につながる文化の簡潔なる一覧として、一家に一冊、あってもいいのではないか。日英併記だというところもいい。外国人に和菓子の蘊蓄を語りたいとき役に立つ、というだけではない。英語と併記しなければならない場合、往々にして日本語が研磨されてより精度の高いものとなることがある。精度の高い日本語は(あるいは、精度の高いエディトリアル・デザインは)、より精度の高い内容を求めることにもつながっていく。言うなれば、和菓子のフォルムや色彩の清冽なる美とは、こうしたところから生まれてきたはずだ。本書のコンセプトは明瞭に正しかったと言うべきだろう。
本書で規定されている和菓子とは、明治になって西欧の文物が大量に日本に入ってくる「それ以前」に確立されたお菓子をこそ指すのだそうだ。もちろん明治維新前にも唐や南蛮からの影響はあったのだが、それはひとまずノー・カウントとして(つまり、そこまでは『和』の範疇であるとして)、「それ以外」である西欧の菓子に対するもの、として和菓子の概念が出来上がっていった、という経緯が興味ぶかい。ほとんどこれは、日本画や日本美術の概念と同じ、さらに言うと日本文化全般のそれとほぼ同じだ。今日であれば「ガラパゴス」呼ばわりされそうな、閉じた環境という楽園のなかで熟成された文化こそが「日本」であり、そこにこそ「日本人」の心のふるさとがある、という見方がここから生まれる。
そうした「ふるさと」から遠く離れた現代において、和菓子が活躍するシーンというと、僕などはつい「ご挨拶」の場面を思い浮かべてしまう。要するに「菓子折りを持って」なんとやら、というやつだ。たとえば目上の重要人物への時候ご挨拶、あるいは不始末の詫び入れ、そんな場合に相手に贈るものは絶対に「和菓子」、間違ってもマカロンの詰め合わせなんかじゃいけない──などと、そんな合意事項ならば頭に浮かぶのだが、実質的な「和菓子というもの」にはとんと目端がきかない僕のような者にとって、本書は有り難い一冊だと言える。すなわち、あなたがもし、「日本的なるもの」が、もしかしたら半ば以上は遠い異文化でしかなくなってしまっているような、現代の標準的な都会人であるならば、「不思議の国ニッポン」の残滓は、知れば知るほど面白がれるものであるはずだ。本書に詰まっている美とは、そういう性質のものなのである。
text: Daisuke Kawasaki (Beikoku-Ongaku)
「和菓子」
中村肇・著
(河出書房新社)
3,990円[税込]