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OPTIC NERVE #13

OPTIC NERVE #13

エイドリアン・トミネのライフワークと言える「オプティック・ナーヴ」の最新作が登場

13 9/02 UPDATE

ここのところ、新著が出るたびに当欄で取り上げている我が畏友、エイドリアン・トミネ。彼の最新作は、ついに、「本業」であるコミック・ブック、それもライフワークである『オプティック・ナーヴ』シリーズの登場だ。本書で第13号となる。

「オプティック・ナーヴ(視神経)」と名付けられたこのシリーズ、当初はエイドリアンの自費出版コミック・ブックとして91年にスタートした。『ニューヨーカー』誌の表紙絵を手掛けるなど、アーティスト/イラストレーターとしての彼の仕事が増えるにつけ、このシリーズの刊行ペースは落ちていった。それが復活したのが2011年の12号。あいだに画集一冊(当欄で紹介)をはさんでのこの13号という速い刊行ペースが嬉しい。

本書はご覧のとおり、表紙の右側の3分の1ほどがカットされている。カットされた空間から見えているのが、本書の最初の作品、1ページもののエッセイ・マンガだ。エイドリアン本人が登場して、『僕の小規模な生活』のような「小ささ」を見せつける、という芸の一環である(今回のお題は「画材そのほかで、時代についていけない僕」というもの)。

続いての掲載は、これが本書のメインだろう、「GO OWLS」という一編。ちょっと駄目な女性(20代後半から30歳ぐらい?)が、同じく駄目な「変なおじさん」(50代から60歳ぐらい?)と出会う。お互い「アウルズ」というベースボール・チームのファンだったことから意気投合、同棲することになるのだが、おじさんの駄目さは「かなり駄目すぎ」で......というコメディ。ここのところのエイドリアンが得意とするコマ割り──基本的にページを「3×4=12」の均等割りにする。ときに1コマが上下2分割されて横長長方形となることは可──の静的なしつらえから生まれるオフビート感が、ペーソスへとつながっていく。まるでよく出来た短篇映画のようだ。カメラが不用意に寄ったりせず、定点観測のように登場人物を撮り続ける、そんな映画の絵コンテよろしく、エイドリアンの「視神経」は、人々の営みを観察するのである。

その「見るときのセンス」が存分に発揮されているのが最後に収録の一編「トランスレーテッド・フロム・ジャパニーズ」。大向こうをうならせ続ける、彼の精緻な描写力、「完璧なパース」から生じる寂寥感を、一枚絵の連続とモノローグにて展開する8ページは圧巻。ちなみに、本作の中の「東京」のシーン、彼に遠隔操作されてロケハン(?)をしたのは僕だ。「スカイツリーと巨大なドーナツが電車の車窓から見える駅」──さて、それはどこでしょう?

なにかと「ガラパゴス」と評される日本文化だが、じつはマンガもそうなってしまったのではないかと僕はこのごろ感じる。一部の特殊な例外を除いては、堕落と退廃の一途をたどって、もはや「世界の最先端」でも「最高峰」でもなくなった。読み手の欲望を無尽蔵に肯定し続ける、言うなれば「甘えっ子システム」が、マンガを殺したのだろう。もちろんこれは、日本人が作るほかの大衆文化すべてと、さらにはアカデミズムと社会システム全般をも腐らせている。

エイドリアンが辰巳ヨシヒロのファンであることは有名だ。英語ヴァージョンの辰巳本の編集やデザインも、彼は何冊も手掛けている。バークレー時代、エイドリアンの自宅に『のらくろ』の古い単行本があったのを僕は見たことがある。かつて、戦後の日本人が失ってしまった何かを、ハワイの日系社会が温存していた時代があった。日本のマンガが育んでいたはずのもの、すごく大事なもののそのひとかけらが、エイドリアンの作品の中に──いまのところは、まだ――息づいている気がする。

text: Daisuke Kawasaki (Beikoku-Ongaku)

「OPTIC NERVE  #13」
Adrian Tomine 著
(Drawn & Quarterly)洋書