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ビルのなかにある「いい階段」を撮影し、まとめたものが本書だ。著者としてクレジットされている「BMC」とは「ビルマニアカフェ」の略で、大阪に本拠を置く、「ビル好き」が集ったユニットなのだという。その偏愛の対象としているビルは、決して最先端のものではなく、「レトロ・ビル」の範疇に入るもの、あるいは、近過去のモダン・ビルなどであるようだ。先行する彼らの作品には『いいビルの写真集 WEST』という一冊があった。その取材の過程などで、気になってしょうがない「階段」があることを認識し、そこに重点を置いて調査を進めていった結果が、本書になったそうだ。
表紙の一枚で、すでに伝わるところも多いだろう。かくも階段という「構造」は写真ばえがする。屋内で、固くなければならない「フロア」から上下階へと移動するためには、まずどこかに(固い基盤のいずこかに)「穴」をうがたねばならない。だから、階段を写真に撮ろうとするならば、まず最初にその三次元的構造と向き合わねばならない。吹き抜けの上部から、下方を狙って。フロアのあいだを走る構造体を、真横からとらえて。最下層のフロアから立ちのぼるそれを、下から仰ぎ見るように......そんな具合に、撮れば撮るほど、見れば見るほどに興味がつきない被写体のそのものが、本書では、著者グループが丹精こめて選択した「よりすぐり」のいい階段なのだ。それらはたいへんに美的であり、味わい深く、見ているだけで、浮き世のしがらみからひととき遊離してしまうかのような......そんな夢幻の境地を感じてしまう人がいても、僕は驚かない。
そうした写真群を中心としながらも、折に触れて挟まれるテキストも的確だ。いい階段の「見どころ」の説明、構造の解説、名建築家・村野藤吾の鉄製階段......イラストや図版も豊富であり、通読するとちょっとした「階段博士」になれるかもしれない。小中学校の図書室には常備すべきだ――というのは僕の冗談ではない。本書のなかにあるような、「いい階段」を愛でるような視点をこそ涵養していくことが、教養ある文化的人物を育てていく第一歩となるはずなのだ。
しかし現実の日本の大勢には、そのような教養も文化も重要視する風潮はない。僕が好きだった「階段」のひとつは、渋谷の東急文化会館のそれだった。「老朽化のため」なんて言い訳すらなく、突然あのビルは更地になって、長くそのままで「グラウンド・ゼロ」として人目に晒された。そして跡地に建てられた仮設のような不細工なあれに、階段はあるのかないのか。いつまで建っているのか。5年後はあるのか。10年後は?
そんな東京から見ると、大阪にはやけに「いい階段」を持つ古いビルが数多く残されていることに気づく。本書にも収録されている中之島図書館、北浜レトロビルヂングもいいのだが、綿業会館のらせん階段が僕にはとても思い出深い。大阪でも空襲は普通にあったはずだから、戦後に東京ほど地上げや再開発の波に洗われなかった、ということなのか。昭和初期に建築されたビルのなかに、ごく普通に小さなオフィスが並んでいるなんて光景、ほんのすこし前までは、日本中どこの都市でも珍しくもなかったはずだ。そこにはきっと、本書のなかにあるような階段が、いくつもあったに違いない。
すぐにまた取り壊されそうな「かりそめの再開発」のありさまに世間の耳目が奪われているあいだに、ひとつずつ消えていく、かそけき存在を心に留めつづけるということ。これは決して「いいね」と言い合うだけの、官能を享受するだけの受動的なゲームではない。ごく普通の文化的先進国ならば、「それがなくては話にならない」そんな感受性を自らの手のなかにしっかりつかみとるための能動的行動なのだ。文字通りの「抵抗」とは、そうしたところから始まるはずだ。
text: DAISUKE KAWASAKI (Beikoku-Ongaku
「いい階段の写真集」
BMC・著 西岡潔・写真
(パイ インターナショナル)
2,000円[税抜]