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いま現在、あるいはこれまでのポップ・ミュージックに真剣に興味がある人だったら、何を置いてもまず自分のものにしなければならない、一家に一冊、間違いない。それが本書だ。
僕がここで言う「ポップ・ミュージック」とは、アメリカにおけるロックンロールの誕生以降の、資本主義世界における大衆音楽のことだ。1950年代以降のそれは、すべてがロックンロールの亜種もしくは変種、あるいはカウンターとしてのみ存在している。つまり「それ以前」の時代から培われていた、芳醇なる「アメリカン・ポピュラー・ソング」の滋養、それらをすべて吸収した上でのビッグ・バンこそがロックンロールだったわけだ。だから本書を読まずして、または、本書にて次から次へと紐解かれていく、珠玉の名曲群の、数々の(いや、数限りない、と言ったほうがいいか)名演を実際に聴きつないでいかずして、今日のポップ・ミュージックについてひとわたりの理解ができると思う人がいたら、それは傲慢でしかない。たとえば、あらゆる意味で進退きわまっていたレディー・ガガが、なぜにトニー・ベネットとの「スタンダード」ソングのデュエットに走ることで起死回生を図ったのか? その答えすらもここにある。「アメリカン・ポピュラー・ソング」こそ、すべてのポップ・ミュージックの心の故郷なのだから。
本書は、そんなポピュラー・ソングの黄金期の脈動を、平板な年代記ではなく、名曲が生まれた瞬間やその背景、各ソングライターの人生に焦点を当てて描き出していったものだ。原著のサブ・タイトルは「The Great American Songwriters and Their Songs」。だからまず目次を見てみて、目に耳に覚えがある曲名やソングライター名がある章から読んでいくのもいいだろう(といっても、結局のところは、そのままどんどん読み進んでしまうことになるはずだが)。
1922年生まれの著者ウィリアム・ジンサーは、ポピュラー・ソングの黄金時代を、20年代の後半から60年代いっぱいまで、としている。ローリング20sが燃え上がり、焼け落ちていった時代から、ロックが大衆音楽の主役となってカウンターカルチャーが世を覆うに至るまでの期間だ。このあいだ、ポピュラー・ソングはミュージカルの舞台で、映画で、ラジオで、それからもちろんレコードや楽譜、ときにはテレビによって、人々のあいだに広がっていった。活躍したソングライターたちの筆頭は、ガーシュイン兄弟、アーヴィング・バーリン、ロジャース&ハート、ホーギー・カーマイケル......そして、80年代以降にポップ・ミュージックに耽溺していた人ならば、強く記憶に残っているだろうこの名前、偉大なる「コール・ポーター」。憶えているだろうか? エイズ・ベネフィットのコンピレーション・アルバムとして成功した『レッド・ホット』シリーズの第一弾として90年に発表された『レッド・ホット+ブルー』に収録されていたトラックは、そのすべてがコール・ポーターの楽曲だった、ということを。ネナ・チェリーが歌う「アイヴ・ゴット・ユー・アンダー・マイ・スキン」、U2の「ナイト・アンド・デイ」、それからアズテック・カメラの「ドゥ・アイ・ラヴ・ユー?」も忘れがたい(ちなみにアルバム・タイトルそのものも、ポーターが書いたミュージカルの題にちなんだものだ)。伝記映画では、エルヴィス・コステロもポーターのナンバーを歌った。とくれば次は、クルト・ワイルだ。ルー・リード、トム・ウェイツ、スティング、マリアンヌ・フェイスフルとクリス・スペディングらがワイル・ナンバーを披露したアルバム『ロスト・イン・ザ・スターズ』は87年だった。
ブルースとカントリーからの系譜でのみ語られることの多いロックンロール(とその亜種)の世界に、「これほどまでに」と驚くほどに、ポピュラー・ソングの影響が色濃いことを僕が強く認識したのが、そのころだった。以来、折を見ては気にしていた、僕にとってはいまだ走破することかなわぬ謎多き大陸が、こんなにもあっけらかんとわかりやすく、いまここに一冊の本という形で目の前にある、という事実に、まだ僕は慣れることができてはいない。「もっと早く手元にあれば」ずっと効率的に聴き進んでいくことができたのに......という忸怩たる思いも、じつはある。全464ページ、巻末には人名とミュージカル&映画題名と曲名「それぞれの」(!)索引まである。豊富きわまりない図版、これもすごい。ソングライターやシンガーたちの写真、ミュージカルのポスターなどが「これでもか」と載っている、このことだけでも十二分に一冊の本となっていい価値がある。まさに労作とはこんな本をこそ言う。巻末の解説は片岡義男さん。あの小林信彦さんも本書を大絶賛したという。ほんとにこれは「一家に一冊」で間違いない本だ、と僕はここで言う。
ちなみに本書のメイン・タイトル「Easy To Remember」とは、ロジャース&ハートによって1935年に書かれた曲名にちなんだものだ。ビング・クロスビーやシナトラ、ビリー・ホリデイによって歌われたこの曲の正式タイトルは「It's Easy To Remember (And So Hard To Forget)」――まさに、この言葉どおりの名曲群と、それを生み出した人々、その背景となった20世紀前半のアメリカ社会の熱気が抽出された一冊が本書なのだ。バカボンのパパの名セリフ「忘れようとしても思い出せないのだ」も、この曲名から来ているとすら僕には思えるほどなのだ。
text: DAISUKE KAWASAKI (Beikoku-Ongaku)
「イージー・トゥ・リメンバー: アメリカン・ポピュラー・ソングの黄金時代」
ウィリアム・ジンサー著 関根光宏・訳
(国書刊行会)
3,456円[税込]