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キッチン・コンフィデンシャル

キッチン・コンフィデンシャル

レストラン業界の裏側を活写した、アンソニー・ボーデインの自伝的エッセイ集。

15 5/18 UPDATE

本書の邦訳版が絶版となっていたとは知らなかった。それはひどい。あり得べからざることだ。ゆえに今回の復刊は嬉しい。土曜社の殊勲だ。新潮社版で多くの読者に愛された野中邦子さんの翻訳だというのもいい。ハニカム読者は全員買って読むべきなのではないか。たぶんそのうちの半数以上の人は、本書から深い感銘を受けるはずだ。アンソニー・ボーデインの筆致と人柄のファンになるはずだ。

アンソニー・ボーデインは、今日ではちょっとしたセレブリティだ。ディスカバリー・チャンネルの「旅と料理」がテーマの人気番組のホストとして、日本でもよく知られている。「ちょっと不良っぽい」ニューヨーカー像をカリカチュアしたかのような、独特の語り口調が特徴的な人物で、ロック・ファンでもある。なかでもラモーンズ・ファンで、かつては愛煙家で、一時期はヤク中(ヘロイン)だったこともある。そして、ニューヨークにて料理人だった――そんな彼が描いた、同地のレストラン業界の裏側を活写した、自伝的エッセイ集が本作だ。これは2001年にアメリカで出版されるやいなや、一大センセーションを巻き起こした。「なぜ月曜日に魚介類を食べてはいけないのか?」といった話題が、アイロニーや諧謔満載の語りによって提示されたとき、過熱しすぎたレストラン・ブームの渦中にあったアメリカ人は万雷の拍手で快哉を叫んだ。本書の成功によって、「文才のある『ちょいワル』料理人」だったアンソニーは、今日にまで続くスター街道を歩き始めることになる。

本書の最大の魅力は、まず彼の文体で論理が進行していく過程の見事さにある。著者のアンソニーは小説も書くのだが(本書の前に数冊、料理を題材にからめた犯罪小説を上梓している)、この筆さばきは文人のそれだ。しかも熟練の、それもたいへんに個性的な......こうしたところから、だれもが胸を熱くするだろう「ニューヨークの裏通りの料理人仁義」が語られていく、という、そんな一冊が本書でもある。とくに、灼熱のキッチンの中でともにくつわを並べて激戦をくぐり抜けていった同僚たちへの讃辞、あるいは愛情いっぱいの罵詈雑言、ここらへんが「ハニカム読者なら」強く感応できるところだと僕は思うのだが、どうだろうか。「モノづくり」に身を投じている人だったら、アンソニーがここで描写しているような海賊集団か潜水艦クルーのような集団の一員として、自らも日々額に汗しているという実感はあるのではないか。

記録文学と言うには、本書はきっとケレン味がありすぎるのだろう。だから言うなれば、「ものすごく長い」トーキング・ブルースのようなものかもしれない。ハードボイルド探偵小説の伝統に立脚した一人称の語りで描き出される、ロックンロールと料理とパルプ・ノワールが渾然一体となった、都市と人間の讃歌が本書なのだ。

text: DAISUKE KAWASAKI (Beikoku-Ongaku)

「キッチン・コンフィデンシャル」
アンソニー・ボーデイン著 野中邦子・訳
(土曜社)
1,850円[税抜]