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朝日新聞のウェブマガジン「&W」で人気だった連載が書籍されたものが本書だ。ウェブでは100人、本書では50人の「台所」が、豊富な写真とともに紹介されている。「台所の数だけ、人生がある。お勝手から見えてきた、50人の食と日常をめぐる物語」というのが本書の惹句だ。つまり住宅展示場やインテリア雑誌にあるようなキッチンはここには登場しない。
掲載されているのはすべて、「そこで暮らしている人」の生活圏から切り出されてきたものだ。そうして提示された「暮らしぶり」の一端が、冷静に観察されている様に好感が持てる。写真を撮り、執筆をした著者の姿勢が正しいということだ。対象との距離感、およびそれらに対する視線のニュートラルさ、といったバランス感覚が優れている、ということだ。だから本書は、こうした企画が陥りがちな興味本位の覗き見とはならず、あるいはまた逆に、なににつけても「わかるわかる」と二回ずつうなずかせるような共感の強要もおこわない。つまり「生活」という言葉の全域に、「庶民の哀感」という名の影が抜きがたく漂ってしまう、日本特有のあのしみったれた感触が、本書からはほとんどかんじられない、ということだ。さらには、たとえば都築響一の『TOKYO STYLE』などにあったような、取材対象を突き放して標本化することを第一義とするような、意図不明なテーゼはここにはない。淡々と、あるべきものを、あるべき形でおさめようとする。本書のこのフラットさが、きわめて今日的であると僕は感じる。
どちらが先か、いまとなっては定かではないのだが、作家としての日々を選択したころから、僕は日常的にキッチンに立つようになった。自分で食べるものを自分で作る、ということと、思考することと創作とは、僕の場合すべてが一直線上に並んでいる。だからときに、(だれかに触られたりして)キッチンのあるべきところにあるべきものがないと、ひどく混乱してしまう、ことがある。キッチンとは脳内の神経系と一体となった秩序の源でもある、のかもしれない。こうした観点から、僕は「よその人」のキッチンを見ることには強い関心がある。調理器具そのほかの配置や、使い込まれた状態から、その先にあるものを想像することを好むのだろう。そこには、英語ならばひとつの言葉で済む「LIFE」そのものすべてがあるからなのだろう。「生きていく上で欠かさざること」に、人々がどのようにかかわっているのか、東京におけるその実例の一端を学べる良書がこれだ。
text: DAISUKE KAWASAKI (Beikoku-Ongaku)
「東京の台所」
大平一枝・著
(平凡社)
1,500円[税抜]