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遠近法(パース)がわかれば絵画がわかる

遠近法(パース)がわかれば絵画がわかる

「絵画がわかる」シリーズの第三弾にして完結編。

16 4/25 UPDATE

著者の「絵画がわかる」シリーズの第三弾にして完結編、「遠近法」を考察の対象としたものが本書だ。色彩学を題材とした第二弾、『色彩がわかれば絵画がわかる』を僕は当欄で取り上げたことがある。ちなみに第一弾は『構図がわかれば(以下同)』だった。そもそも、絵画が「わかる」とはどういうことか? わかるもわからないも、絵画なんて、芸術なんて(つまり文学も音楽も映画も)なにもかも、心や魂で感じとればいいじゃないか! 「わかる」必要なんてどこにある!?――なんて思う人がもしいたならば、決して本書を手に取ってはいけない。しかしそれ以外の人にとっては、大いに蒙を啓いてくれるはずの一冊がこれだ。

絵画において使用される遠近法、その四つの基礎的技法から、まず本書は説き起こされる。それは「重なり」「陰影」「色彩」「縮小」の遠近法だ。四つ目の「縮小」の遠近法と同列にあるのが線遠近法で、ここから、多くの人にお馴染みの一点遠近法、二点、三点の遠近法へと解説は進んでいく。そして「消失点」の発見という、人類史に残る――か、あるいは、少なくとも芸術史上のベスト3には確実に入る――ほどの大発見について、語られていく。

とはいえ、本書は無味乾燥な美術理論書ではない。いちばんの読みどころは、遠近法の具体的な解説「以外のところ」にある。美術思想史的エッセイと言おうか。遠近法を開発し、習得したはずの人類が、ときに「逆側」へと振れていく時代がある(中世ヨーロッパ、あるいは20世紀の絵画など)、そんな事例にも著者は言及する。つまり「遠近法を捨て」たり、「遠近法から離れる」ことを、多くの画家が試みた、この行為の「理由」についても、論理的に追いつめようと試みられているところ――ここに僕は最も惹かれた。

たとえば、原理原則的な「遠近法の天才」として、本書にはダ・ヴィンチが登場してくる。彼の名作『最後の晩餐』が、その頂点の一例として紹介される。そして、「遠近法の縛りから自由を獲得していった」後世の例として、セザンヌの『キューピッドの石膏像のある静物』が紹介される。印象派からキュビズム、20世紀の絵画がいかに「平面を重視する」方向へと進んでいったのかが、語られていく。そして本書がユニークなのは「この両者が」アートとしては同じ方向を、「同じ種類の真実を追及している」とする論へと収斂していくところだ。

著者は、美術史家エルヴィン・パノフスキーのこんな言葉を、本書のなかで引いている。「すべての奥行方向の線が向かう無限に遠い点の像」こそが消失点である、と。だから「消失点の発見はいわば無限そのものの発見の具体的象徴(シンボル)」なのである、と。言い換えるとつまり、この「無限」の存在を感得することが「遠近法を知る」本義にほかならず、ひいてはそれが「芸術をおこなう」ことの正しき端緒に立つことにもなるのだ――というのが著者の主張であると僕は理解した。

だから逆から言うと、こうなる。あなたが「無限」というものを知りたいなら――いや、無限とも思えるほどの広大無辺なる世界、果てなき宇宙の存在こそが、自らの「皮一枚外側のすべて」だという認識の地点に立つことを強く乞い願うなら、そのときにまず最初に必要となるものが、真なる芸術なのだ、と。

「無限」の前で畏怖し、膝を屈し、打ち震えることを起点として、原生人類の文明も文化も発展してきた。だから我々の精神文化を前進させていく際に、ちょうどロケットにおける推進剤としての役割を果たして来たのが芸術だった。このことを、絵画をとおして「構造的に理解していく」ためのシリーズが本書を含む三部作なのだと僕は考える。絵画を、芸術をとおして「そのずっと向こう側」に――言うなれば「消失点(ヴァニシング・ポイント)の向こうに」(なんて言うと、氣志團ぽいですね)意識を伸張させていくことの重要性を、本書はあらためて気づかせてくれる。「絵画がわかる」ことの有益性のひとつは、まさにここにある。

遠近法は、なければならない。「あることを知っている」上で、そこから自由になることは可能だ。しかし、ただたんに「パースが狂っている」絵は、チューニングが不正確な楽器と同じとなる。ちなみに「遠近法」とは、英語では「パースペクティヴ(Perspective)」という言葉の語義のうちのひとつだ。見通し、あるいは、見通すこと、通観する視線、なども語義のなかにある。

そして言うまでもなく、「洋画から学習するまで(=洋画が『わかる』まで)」日本の絵画には、まっとうな遠近法の概念がなかったことを、僕は思い出す(本書のなかでも触れられている)。この列島のなかでは、自前の遠近法はさして考察されることもなく、とにもかくにも平べったい絵画ばかりが氾濫した。「消失点」を欠いた、つまり、無限へと続いていくべき奥行きを欠いた絵画は、今日に至るまで、特異種としての奇妙な発展を遂げている(あるいは、衰亡のきわみにある)。そして日本の文化のあらゆるもの、日本の文学や日本の音楽の大半もほぼこれと同種の病根を抱えている。このことの治療法は本書のなかにはない。だがしかし「どこがどう」パースペクティヴ的に狂っているのか、そのことをあなたが科学的に分析するときの足がかりとして、本書から得られる知見はきっと役に立つはずだ。

text: DAISUKE KAWASAKI (Beikoku-Ongaku)

「遠近法がわかれば絵画がわかる」
布施英利 著
(光文社新書)
880円[税抜]