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新編 黒部の山人 山賊鬼サとケモノたち

新編 黒部の山人 山賊鬼サとケモノたち

16 5/25 UPDATE

一部の本読みから熱い支持を集めている「ヤマケイ」こと山と渓谷社から発行された、最新の良書がこれだ。なんと言っても表紙がいい。これにぐっと来た人は、手に取って後悔ないはずだ。

本書は、2014年に発行された書籍『定本 黒部の山賊 アルプスの怪』の続編というか、スピンオフにあたる。『スター・ウォーズ』だったら、本編の連作に対する『ローグ・ワン』とでも言おうか。だから本書の説明に入る前に、先行する『山賊』について触れよう。

山には「伝説」がある。口頭で伝承されてきた、得体の知れない怪異譚がある。そのなかではごく普通のこととして、妖異や神霊が「お山」のいたるところを闊歩する。そもそもが、山に「お」をつける習慣は、日本における山岳信仰と地続きだ(ゆえに、山以外に「お」はつけない。「お川」とも「お海」とも言わない)。修験道の行者が荒行を積んだ深山幽谷の傍らには埋蔵金伝説だってある。カッパだっている......といった、北アルプスの山小屋に滞在した人々のあいだでのみ伝えられて来たエピソードの数々をまとめて、1964年に発行されたのが『山賊』のオリジナル版だった。これを復刻したのが14年度版で、同書は「山の話」が好きな人々の界隈で、静かなる話題を集めていた。

そんな同書のなかで、「山賊」と呼ばれていた人々、北アルプスの最奥部、黒部源流域のフロンティアとして山小屋経営に関わっていた山男たちのひとり、鬼窪善一郎こと「鬼サ」の語りをまとめたものが本書『新編 黒部の山人』だ。だから『ローグ・ワン』ではなく、ハン・ソロの若き日を描く、ということで現在準備中の一作のほうが近いかもしれない。

本書の読みどころは、まるでドキュメンタリー・フィルムのような語り口調だ。山で、魚や獣を獲って、食う、という猟人生活が、朴訥かつ生々しい言葉で描き出されていく。クマもカモシカも猿も食う。『山賊』にも出て来た、「黒部の怪」も登場する!......が、こちらは話者がひとりであるために、『山賊』にあったごとき話題のバリエーション、複数のヴォイスによる立体感や広がりは望めない。「鬼サ」の声にあなたが同化できるかどうか、そこが本書に没入できるかどうかの分かれ目になるーーと書くと、なにやら文学的だが、じつは本当にそうかもしれない。「お山」という特殊な場所にて、常人には計り知れない光景を見てきた山人の、貴重きわまりない口述がここに活字化されているのだから。

子供のころ、山に親しんでいた時期が僕にはある。父親の教育方針のせいで、僕は十二歳までに、ひとりで野営ができるようになっていた。テントを張り、火を熾し、ナイフを使い、適切なノットでロープを結ぶことを憶えた。だからゾンビ・アポカリプスが勃発した際には、それなりに生き延びられるような自信がある(ような気がしている)。さすがに僕が記憶する時代のなかには、鬼サのような山人はいなかった。だがしかし「いてもおかしくはない」ような、異界としての「お山」の一端は、僕も垣間見た。そのときの感覚は、いまもってなお僕のなかにある。

というわけで、『ウォーキング・デッド』ファンの人に、意外に本書はお薦めかもしれない。あるいは、『レヴェナント』や、シドニー・ポラックの『大いなる勇者』(72年)あたりを好む人だったら、ぜひこの機会に、本邦代表の山男の「生の言葉」に触れてみてはどうだろうか。

text: DAISUKE KAWASAKI (Beikoku-Ongaku)

「新編 黒部の山人 山賊鬼サとケモノたち」
鬼窪善一郎・語り 白日社編集部・編
(山と渓谷社)
960円[税抜]