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ニューヨーク・タイムズのベストセラー入りした傑作ノンフィクション、という評判どおりの力作だ。本書の題材となった史実については、僕もおおよそのところは知っていた。それだけに逆に、本書の充実ぶりには瞠目させられた。ときにドラマチックに、ときに微に入り細を穿ち、まるで一大ドキュメンタリー・フィルムのように立体的に、空前絶後の「戦時下の図書大作戦」の全貌をとらえようとした一冊がこれだ。
この「作戦」とはなにか? ときは第二次大戦下、アメリカでは「前線に旅立った兵士たちに本を贈ろう」という運動が開始される。戦場での休息時に、兵士がふとひと息をつくときに「読むもの」としての本があれば、精神衛生上とてもいい。「本を読んでいるあいだ」は、兵士たちの心がひととき戦場を離れ、リフレッシュされるから、結果として士気が高まる――そんな分析のもと、アメリカの図書館員が先導し、この運動が展開されていく。まずは国民に広く呼びかけて、最初の目標である1000万冊の本を集めて、それを戦地へと送る。
ほどなくして、「兵隊さん向け」の本の製作も始まる。これがアメリカン・ヴィンテージ・マニアならよく知っている、「兵隊文庫」の誕生へとつながっていく。横長(が多い)ポケット版のあのペーパーバックのことだ。そして最終的には、「戦地に送った」これらの本の総数は、本書の副題にもあるとおり、なんと1億4000万冊にも達したのだという!
といったアメリカの図書運動の背景には、「ナチスへの思想的対抗策」という側面が明確にあった、ということ――この点が、本書のなかでしっかりと考察されているところも、とてもいい。人間でも芸術でも、そのファナティックで狂った思想と歪んだ趣味に合致しないものには、「退廃」そのほかいろいろな烙印を押しては、虐殺したり燃やしたりするのがナチスというものだった。本も多く燃やされた。1億冊もの本が「焚書」されたのだという。だからアメリカは、これに「対抗」して、戦地へと本を送り出した。1億冊「以上」の本を、兵士のもとに届け、「自由に本を読める」国家の軍が、「本(や人)を燃やしてしまう」ような全体主義国家の軍を打ち倒すことを想定して、そしてやり遂げてしまった、というわけだ。「私たちは、この戦いにおける武器は本であることを知っている」というルーズヴェルト大統領の演説が、本書のなかでも紹介されている。
そして、このときの(第二次大戦下の)兵隊文庫におさめられていたことがきっかけで、再評価され、戦後に新しい地位を得た文学作品もあった。フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』は、その代表的な一作だ。20年代に出版されたあと、大恐慌の時代に忘れ去られ、しかし「戦地の兵士たち」の読書体験によって、その真なる価値を見いだされていった。
つまりこういうことが言える。第二次大戦下で過酷な戦場にいた米軍兵士の少なからぬ者が、作中のデイジーの姿を胸に、デイジーのような女性に豊かで平穏で美しい人生を保証するために、「そのロマンチシズムのために」あたかも作中のギャツビーがそうしたように、誇りをもって自ら死地に赴いていったのだ、と......そして僕はこう思う。魂の底にこのような能動性を備えた兵士が、弱いわけがない。兵士にこのように愛される「文学」を生み出せる文化・思想的土壌を備えた国家が、弱いわけがない、と。
では決定的に「弱い」のはどこか? この際ここで挙げておくべきだろう。もちろんそれは日本国だ。『ギャツビー』のような文学が「ない」から、だから弱い。そんな文学を生み出せるような文化的・思想的土壌などない(かつて一度もなかったし、いまももちろんない)。だから、いっときは勢いがあるように見えても、結局のところはひどく脆弱で、考えが足らず、いつも必ず、まったく無意味な死だけが折り重なっていくだけのことになる。
その実例として、ご興味あるかたはぜひ本書と併読してもらいたいのが、押田信子『兵士のアイドル (幻の慰問雑誌に見るもうひとつの戦争)』(旬報社)という一冊だ。アメリカの「兵隊文庫」に相当するものが、当時の敵国だった日本ではどうだったのか、ということがこの本でよくわかる。日本のそれは「戦線文庫」と呼ばれた「慰問雑誌」であり、つまり、女優の写真などが並び、即物的な快楽へと直結していく「娯楽」と「癒し」が主眼となった印刷物だった。日本の兵士たちには、欲望の処理こそがまず最初に重要だった、のだろう。志願ではなく、その多くが強制的に招集された彼らには。だからその雑誌の表紙や誌面では美貌の「アイドル(原節子、高峰秀子、李香蘭ほか)」の笑顔が輝き、兵士はその「画像」に歓喜し、編集部気付でファンレター(or 恋文)まで送る者までいた、のだという......まるで、「いまの日本」のようではないか。アメリカ軍の「兵隊文庫」と、日本軍の「戦線文庫」の差とは、まるで「日本と、アメリカのあいだにある」――抜きがたく、永遠に存続するどころか、今日より一層格差が拡大してくだけの――「決定的な国力の差」および、その背景としての「文化・学術・思想的強度と深度の差」の、きわめて辛辣な暗喩のようではないか!
こうした彼我の差について、積極的な興味を持てる人に、本書はとくにお薦めだ。あるいは、フィッツジェラルドも、(もちろん)ヘミングウェイも、じつは「パリ解放」に立ち会ってしまったアーウィン・ショーも、サリンジャーも......20世紀のアメリカ文学の巨人たちに、兵士としての戦争経験者が数多くいたことを知っている人なら、「絶対に読まなければならない」一冊が本書だろう。ピーナッツ・コミックスのチャールズ・M・シュルツもヨーロッパ戦線に参加した(だから晩年の作品では、米軍兵士のコスプレをしたスヌーピーがDデイを再現したりもしていた)。コミックブック・ヒーローのキャプテン・アメリカが誕生した経緯については、いまさら僕がここで言うまでもないだろう。
世界大戦があろうが、いや「あるならこそ」文学には、本には、文化には、やらねばならないことがある。いくらでもある。当たり前だがその「第一番目の任務」は、「かくあるべき戦後世界」を夢見るための、その道筋の入り口を作ることだ。思想の立脚点となる場所を涵養することだ。本書のなかにあるのは、その最大の成功例と言っていい史実だ。日本もこれからすぐにまた戦争をするかもしれない。その前に読んでおくべき一冊なのかもしれない。
text: DAISUKE KAWASAKI (Beikoku-Ongaku)
「戦地の図書館 (海を越えた一億四千万冊)」
モリー・グプティル・マニング 著 松尾 恭子 訳
(東京創元社)
2,500円[税抜]