08 2/08 UPDATE
開巻いきなり観客は、主人公とともに異様な体験のなかに放りこまれる。目を閉じたときに現れるまぶたの裏の色彩。薔薇。白衣。映るものは像をなかなか結ばず、溶けるように歪んで、視界も不定形だ。そこに不意に紛れこむ過去の記憶の断片。自分の声は奇妙にデッドに内側に響く。
そう、これは基本的に一人称映画なのだ。とりわけ最初の30分ほどは徹底して一人称。なにしろ主人公ジャン=ドミニク・ボビーはある日突然、左目以外全身不随に陥った男なのだから。
映画は脳梗塞に襲われた彼が、昏睡から目覚める瞬間から物語りはじめる。仕事と女を謳歌する生活から一転、身体ひとつ動かせず、喋ることもできず、まるで鋼の潜水服に閉じ込められたような状態になった自分を次第に認識していく過程を、彼自身の心の声……モノローグとともに追っていく。
しかしだ。例えば全身動けなくなった人物が主人公といえば『ジョニーは戦場へ行った』なんて作品があったけれど、このジャン=ドーはシニカルではあるけれど基本的に快楽主義者。コミュニケーションの方法を編み出した言語療法士の美しい女性にもまず妄想をたくましくするのだから素晴らしい(笑)。彼にとってはおそらく、スケベであることは人生そのもの。そのエネルギーでもって、彼女が繰り返し繰り返し読み上げるアルファベットにまばたきの回数で応えて文章を紡ぎ、外部とのつながりを回復することに積極的になっていく。画面もまた、彼が絶望と自己憐愍から脱してはじめて三人称視点が現れ、彼の内面に渦巻く過去現在未来の記憶と抽象的イメージともに渾然一体となり豊穣さを増していくのだ。
画家であることをともすれば忘れそうになるほど(笑)すっかり映画にのめりこんだ感のあるジュリアン・シュナーベルだが、これは間違いなく彼の最高傑作だ。モノローグと映像が呼応しあう編集リズムも音楽的で心地よいが、そもそも本作を観ていて感じるのは、フィルムというマテリアル自体への関心が彼には非常にあるのではないかということ。感光剤が直接捉えた光線、現像ムラ、ストック・フィルムの効果的な使用……そもそも映画監督業進出以前よりシュナーベルは、8mmや16mmフィルムを弄っていたんじゃないだろうか? 例の皿絵画ほど過激ではないにしろ、コラージュ的な異化技法を大胆に展開している点、さらに言えば誰もの情動に深く訴える古典的なまでの題材であるという点でも、彼の絵画表現にもっとも近い映像作品であるとはいえるだろう。
Text:Milkman Saito
『潜水服は蝶の夢を見る』
監督:ジュリアン・シュナーベル
原作:ジャン=ドミニク・ボビー
脚本:ロナルド・ハーウッド
出演:マチュー・アマルリック、エマニュエル・セニエ、マリー=ジョゼ・クローズ、マックス・フォン・シドー、イザック・ド・バンコレ、エマ・ド・コーヌ
原題:Le Scaphandre et le Papillon
上演時間:112分
2007年/フランス=アメリカ
配給:アスミック・エース
2月9日(土)シネマライズほか全国ロードショー
© Pathe Renn Production-France 3