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『ダークナイト』

『ダークナイト』

善と悪の問題を真正面から問いつめ続ける作品。

08 8/12 UPDATE

急逝したヒース・レジャーの演技が早くも来年の賞レース大本命と話題になっているバットマン新作。うぅぅむなるほどなるほど。ホントにコレを演じることで神経をすり減らし命を縮めたのでは?と勘ぐられるほど、複雑怪奇な「悪」の権化に彼はなりきっているのだ。そう、これはアメコミ映画の変質と成熟が(作品によっては)伺える昨今のハリウッドにおいてもちょっと格違いの作品。善と悪の問題についてこれほど真正面から問いつめ続ける映画(徹底してリアルに、しかも詩的に)はちょっと例がない。

舞台は当然ゴッサム・シティだが、ティム・バートン版のようなゴシック風味は皆無。前作『バットマン ビギンズ』に続くクリストファー・ノーラン監督は虚構性をほぼ排し、のっけからこの都市がニューヨークだと明示することで観客にのっぴきならない現実感を突きつける。

そのリアリスティックな都市を切り裂くように現れるのが(そう、大俯瞰画面を切り裂くように空中にワイアを横断させて登場するのだ)銀行を襲撃する盗賊団。ウィリアム・フィクトナーのほとんどキャメオ的な出演からも、それが善と悪の表裏一体的な関係性を描いたマイケル・マン監督『ヒート』('95)の本歌取りなのは明らかだが、道化師の仮面をかぶった彼らは、ボスの密命でひとりひとり仲間に裏切られ撃ち殺されていく。......そして最後にひとりだけ残り忽然と姿を消すのが、仮面を取ってもピエロ顔の男ジョーカー。ジョニー・ロットンにインスパイアされたというヒース・レジャーのメイクは、バートン版でジャック・ニコルスンが演じた同役とはまったく違う、白塗りも口紅も荒々しく塗りたくられ、それもあちこち剥げおちて地肌がのぞく、投げやりで暴力的でサディスティックな得体の知れないイメージだ。

かたや「悪を滅ぼすもの」として出現したバットマン(クリスチャン・ベイル)も、市民の共感は呼ぶものの(何人ものニセ者が跋扈するようになる)、警察にとっては「許されない自警団気取りの犯罪者」であり公然と批難すべき存在。だがそれは表向きにであって、裏では法で対処できぬ悪の排除をバットマンに頼ってもいるのだ。中でももっともシンパシーを抱いているのがジム・ゴードン警部補(ゲイリー・オールドマン。『レオン』の刑事役とはえらい違いだ)。そして新任の地方検事ハービー・デント(アーロン・エッカート)。マフィアにさえ怯まず立ち向かう正義漢ぶりに、人は彼のことを "ホワイト・ナイト(光の騎士)"と呼ぶ。

いっぽう銀行からマフィアの資金を奪ったジョーカーは、マフィアたちをそそのかし、全資産の半分と引き換えにバットマン殺害を買って出る。だがジョーカーの目当ては金でもなく、都市を支配することでもないのだ。正義のもとに悪は撲滅できると思い上がる奴らに、光あるからこそ闇もあり、善あるからこそ悪が生まれることを知らしめることなのだ。ヒーローがいる限り悪も存在し続けること(また悪なくしてヒーローの存在意義もない)、善悪の垣根は薄氷のようなもので、ことに善など容易に変節させられることを見せつけることなのだ。

上映時間152分、これを嚆矢として我々は、神経を逆撫でする虫の羽音のような弦楽ノイズとともに混沌と憎悪と堕落の権化ジョーカーの悪意を浴びつづけることとなる。常に多発的に行われる、遊戯的で血も涙もないアナーキーなテロリズム(これをハイテンポでさばいていくノーランの演出力は大したものだ)は都市全体を巻きこみ、市民を恐怖と絶望の淵に追いやっていく。バットマンも警察もハービー・デントも正義と悪の間で幾度も幾度も逡巡を繰り返し、そしてある者は崩れ落ちてしまう!

ともかくこの映画、コミックものに求められるような爽快感はほぼゼロといっていい。大きなアクション・シーンもいくつかあるが、凄絶な中盤のチェイスなどバットマンもジョーカーと同等の破壊者だと思えてくるような演出だし(ただし構図を含むキレ自体は前作の比ではない)。ノーランはすんでのところでひとつの「救い」を残しはするものの、終盤へと向かう流れはとても苦い。

しかしそれでも、この映画は紛れもなく英雄譚なのである。ようやくタイトル「闇の騎士」はラストに至り、ある種アーサー王物語のような格調と崇高さを伴って本当の意味を付与されるだろう。ときにシェイクスピア劇のように、ときに哲学問答のように磨かれた台詞は本作の大きな美点のひとつ(脚本はジョナサンとクリストファーのノーラン兄弟)。もしこの映画に魅せられたなら、二回目はメモ片手に観たくなること間違いなしである。

Text:Milkman Saito

『ダークナイト』

監督:クリストファー・ノーラン
製作:クリストファー・ノーラン、チャールズ・ローヴェン、エマ・トーマス
脚本:クリストファー・ノーラン、ジョナサン・ノーラン
出演:クリスチャン・ベール、マイケル・ケイン、ヒース・レジャー、ゲイリー・オールドマン、アーロン・エッカート、マギー・ギレンホール、モーガン・フリーマン
原題:The Dark Knight
上映時間:152分
製作国:2008/アメリカ

配給:ワーナー・ブラザース映画
丸の内プラゼール他全国ロードショー中
http://wwws.warnerbros.co.jp/
thedarkknight/

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