09 9/25 UPDATE
ナチ占領前夜、1936年のフランス。親コミュニズム/反ファシズムの人民戦線政府がつかの間の夢のように誕生した、そんな時期。ときを同じくして映画界では、大衆的なストーリーに詩的な台詞・演出、香り高い美術とキャメラを伴った一連の作品を生み出すことになるコンビ......いや、トリオが活動をはじめた。
監督、マルセル・カルネ。脚本、ジャック・プレヴェール。そして美術監督、アレクサンドル・トローネルを加えた3人は、『霧の波止場』('37)『北ホテル』('37)『悪魔が夜来る』('42)『天井桟敷の人々』('44)『夜の門』('46)...と歴史的な傑作を連打していく。
本作はこの時代・このトリオへのオマージュづくし。カルネ/プレヴェール的な「詩的リアリズム」への接近は、フランスで国民的映画となった『コーラス』のスタッフ(製作者ジャック・ペラン&監督クリストフ・バラティエ)らしいといえるかも。
なんせのっけからスクリーンいっぱいの緞帳が開いて物語がはじまるのだが、もちろんコレは『天井桟敷の人々』。そしてパリ北部の下町、フォブールの壮大なランドスケープ......まさしくトローネルではないですか。キャメラは天から舞い降りて、呼び込みが人寄せするミュージック・ホールへ、そしてそのまま舞台裏までワンカットで......。映画は借金まみれのこの劇場「ル・シャンソニア」を舞台にした、芸能と恋と政治の時代の物語だ。
でもこの劇場の支配人は、盛り上がる労働者のストライキと未曾有の不景気による借金との板挟みに遭って自殺。シャンソニアは街のカオでもある悪徳不動産屋ギャラピアに取り上げられて閉鎖。妻に逃げられながらもひとり息子のジョジョを育てつつ、長年裏方として働いてきたピゴワル(『コーラス』のジェラール・ジュニョ)は失職してしまう。それどころか、アコーディオンの辻弾きで家計を助けていたジョジョは再婚した母親の家へ引き取られていった。
「扶養の資格なし」と判断されたピゴワルが愛息を取り戻すには、劇場を再開させて生活を立て直すしかない。彼以外にも劇場に行き場所を求める人物が集まってきた。ベテラン物真似芸人ジャッキー(といっても芸の質は"あらびき"そのものだが)。組合の若き活動家ミルー。ピゴワルが支配人に担ぎ上げられ、再開が軌道に乗り始めるとともに昔の仲間たちも戻ってくる。新人のオーディションも開いた。飛び抜けていたのが歌手のドゥース(新人ノラ・アルネゼデール。彼女自身もまた掘り出し物だ!)。実は彼女は不動産屋ギャラピアに見初められ、家まであてがわれていた娘(しかし身体は許していないというのがいかにも、だけどね)。やがて再開したシャンソニアの、そしてパリの歌姫となるドゥースは、実はジョジョにアコーディオンを教えた隠遁老人とも深い縁があったのだ......。
もぉ、どうだとばかりにベタではある。労働者対資本家の構図もあるが、それとて愛憎劇の中に組み込まれているといった調子。でも「それがいいんだよ!」とノスタルジックに開き直っているのが潔い。
さらに中盤から出演者全員歌い踊るシネミュージカル的な転換を見せて、これもまた楽しい。舞台上でのパフォーマンスという枠ではあるけれど、バズビー・バークリー風の幾何学振付も援用したなかなかモダンな出来なのだ。ま、支配人もあらびき芸人も組合活動家もそんなに器用なら、芸人探す前に最初から歌い踊っとれやとツッコミたくもなるが(笑)。......ただし、その前段としてふだんウケない芸人のジャッキーが右翼団体の集会で大ウケし、調子に乗って利用され、仲間からバッシングされるというエピソードもあり、苦難の時代を生き抜こうとする芸人の悲哀が裏に秘められているのもまたいい。
特筆すべきは撮影。なんと近年のイーストウッド映画御用達、トム・スターンなのだ! モノクロが定番の詩的リアリズム映画をカラーで、しかし端正に撮りあげてみせている。ドゥースとギャラピアの室内シーンや、驚きのラストで発揮される暗闇の艶やかさも彼らしい画面ですね。
Text:Milkman Saito
『幸せはシャンソニア劇場から』
監督・脚本:クリストフ・バラティエ
製作:ジャック・ペラン、ニコラ・モヴェルネ
音楽:ラインハルト・ワグナー
撮影:トム・スターン
出演:ジェラール・ジュニョ、カド・メラッド、クロヴィス・コルニアック、ノラ・アルネゼデール、ピエール・リシャール、ベルナール=ピエール・ドナデュー、マクサンス・ペラン
原題:Faubourg 36
製作国:2008年/フランス・チェコ・ドイツ
上映時間:120分
配給:日活
公開中
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