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実のところ、僕が次回作を心待ちにしている映画作家というのはそれほど多いわけではない。日本では......そうだなあ、せいぜい5、6人といったところか。
そこに食い込んでいるひとりの監督がいる。彼の本業は(といっても舞台や映像メディアでの俳優業も忙しいからもはや何が本業なのか判らなくなっているが)お笑い芸人である。
北野武? 松本人志?......いや、板尾創路だ。飽くことなく幾度も脱獄を繰り返す男を描いた第一作『板尾創路の脱獄王』('09)は、『パピヨン』か『アルカトラズからの脱出』か『ショーシャンクの空に』か吉村昭の「破獄」かといった「脱獄もの」のクリシェを意識しながらもシュルレアリスティックともいえる奇想へ、そして底の抜けたアホなオチへといとも自在にジャンプしてみせるノンシャランが小気味よかったし、また昭和初期を表現する重厚な美術・撮影にも、お笑い芸人の余技などとはまったくもって片づけられぬこだわりをはっきり見せていたのだった。
そして2作目となる本作もまた昭和期......時代はもう少し下って、敗戦後の混乱がまだまだ続く昭和22年ごろの江戸落語界が舞台。だが今回は類似する作品というものがあまり見当たらぬ奇怪な映画だ。あえていえば『犬神家の一族』じみたプロットはあるけれどあくまで一要素に過ぎない。周到に「納得のいく理由」を示さず、解釈を観客にゆだねながらも、ただの無茶苦茶ではなく、いくつかの解釈をそれぞれの観客の脳裏に確かに示してみせる......いってみれば後期の鈴木清順映画にどことなく通じるものがあるといえるかも。
富士山の見える埃っぽい荒野(この、のっけの画がすでにもう、かなりいい)。そこに帰還兵らしい国民服の男(板尾)がよたよたと現れる。顔のほとんどを包帯で覆い、かろうじて片目と口を覗かせている程度のこの男、やがて辿り着いたのは満月に照らされた神田の橘亭、ようやく戦後の混乱から再開となった寄席である。そして小屋に入るなり客席から高座に上がって座りこみ、そのままだんまりを決めこむが、この包帯男が将来を嘱望されながらも徴兵され戦死報告を受けた若手噺家・森乃家うさぎだと気づいたのは、うさぎと結婚の契りを交わした、師匠(前田吟)の娘の弥生(石原さとみ)だった。
師匠をはじめとする森乃家一門は、人気も実力も抜群だった彼を落語界に復帰させようとするが、困ったことに何も喋らない。それどころか昔のことをいっさい覚えていないようなのだ。ただいつも小さな小さな小さな声で呟いているのは、うさぎの十八番だったネタ「粗忽長屋」なのである。
ところがやがてこの一門に、やはり汚れた国民服を着たもうひとりの兵士(浅野忠信)が還ってくる。彼はほんとうに声を無くしてしまったようなのだが......。
監督自ら扮する「男」はほとんど何も喋らない。もうひとりの兵士も声を失い喋ることがない(回想シーンではやや台詞があるが)。ふたりは対となる関係にあるようだが、同時に互いを補完するひとりの人格でもあるようだ。ふたりの外見はまったく似てはいないのだが、画面を通してさえ同様の空気を漂わせていて、なんとも奇妙な心持にさせる(僕が実際に会った板尾氏と浅野氏にも同じ匂いを感じた)。
「男」が還ってくるなり街は満月の夜がずっと続き、池には魚が浮かび、ひとは冷静な判断をじわりじわりと失っていく。まさしくルナティック。その最たる被影響者こそ、石原ひとみがまっすぐに演じる弥生なのだが、言葉はもちろん、ほとんど感情的変化を示さない男性ふたりを相手にしたうっかりさんぶりが粗忽にして可愛い。
そう、「粗忽長屋」こそ、この作品のヒントである。古典落語のなかでもひときわシュールなオチを持つネタとして知られるものだが、別にこの映画がそれを原作としているってわけじゃない。いわば「粗忽長屋」の引用は、このひとを惑わす作品をわずかなりとも腑に落ちさせるためのサーヴィス要素といってもいいだろう。それでもこの両者はきわめて近い世界観のうえにある。
満月の青い光が世界を狂わせる一方で、ひたすら光の届かぬ地中を掘り続ける太った女郎は何なのか。突如現れる「タイムスリッパー」のあの人は何なのか。最後に訪れる、夢とも現実ともつかぬ光景は何なのか?......先にも書いたが、すべてに明快な答えはない。だがほんとうは謎解きなどこの映画にとってはどうでもいいことなのであって、唯一、その「最後の光景」が、芸人としての、エンタテイナーとしての、表現者としての、究極の恍惚郷であるのは間違いないことと思うのだが。
text: Milkman Saito
原題: 月光ノ仮面
監督: 板尾創路
脚本: 板尾創路、増本庄一郎
出演: 板尾創路、浅野忠信、石原さとみ、前田吟、他
制作国: 日本
制作年: 2011
上映時間: 102分
配給: 角川映画
http://www.gekkonokamen.com/
全国にて大ヒット公開中!
©2011「月光ノ仮面」製作委員会