12 4/04 UPDATE
青いシーツで腰を覆い、うつろな目を開けたまま微動だにしない全裸の男。生きているのか死んでいるのか、そのポーズは聖画を思わせぬでもないが、その左手は股間のほうにあてがわれ、自慰のあとなのか性交のあとなのか、明らかにセクシュアルな空気を感じさせる。
そう、この男ブランドンは聖職者ならぬ性職者。マンハッタンの高級マンションに住む独身ビジネスマンだが、彼の頭の中にはセックスしか存在しない。コールガールを家に呼んで、ヤる。バーで出会った女と、ヤる。シャワーを浴びればオナニーする。会社のトイレでもオナニーする。いちおう仕事はちゃんとこなしているようだが、オフィスの彼のPCはエロ動画でいっぱいだ(それで会社じゅうにウィルスを蔓延させてしまう)。もちろん自宅でもポルノサイトにライヴ・カム三昧。性的オーラを常に発散させているのだろう、通勤中の地下鉄で向いに座った女も視線一発で落とされる。もちろん、ヤる。
なぜブランドンはそんなにセックスに依存しているのか、その理由は語られない。ただその耽溺ぶりを、なんのモラル的判断も下すことなく淡々と描いていく。
極端ではあるけれど、それなりの均衡を保った彼の生活は、ある日いきなり崩される。ひとりの女が強引に、彼の部屋に押しかけてきたからだ。女はどうやら毎日留守電に吹き込まれていた声の主であるらしい。「私よ、ブランドン、どこにいるの?」と繰り返し繰り返し......それは彼の妹、シシーだった。
彼女の留守電をひたすら無視していた兄だが、兄妹仲はさほど悪くはなさそうだ。しかしシシーが、捨てられたばかりの彼氏によりを戻そうと泣いて懇願する電話の声が隣室から聞こえる。その隣室に初対面の男を連れ込んで、会ったその日にセックスする。そんな恋愛依存体質の妹を、自分のことは棚に上げてブランドンは激しくなじる。なじりはするものの彼にとってのセックスも「快楽」としての素振りをやめ、「苦行」としての本性をさらけ出してくるのだ。
捉えようによってはこのふたり、精神的な近親相姦の関係にあるようにも受け取れる。いや、肉体的な関係が過去にあったとも、そうした恋情への苦悶がふたりを「依存」へ駆り立てているとも考えられるだろう。だが、もしそうだとしてもそうではなくても、この兄妹はもっと複雑で深刻な癒しがたい過去から逃れようとしているのではないか......? この映画の中でたった一度だけしか触れられないのだけれど、どうやらこの兄妹、アイルランドからNYへと渡ってきたのであるらしい。では渡米した理由は何なのか...。
本作の監督はスティーヴ・マックイーンという(!)。なんともスゴい名前だけど、ロンドン生まれのアフリカ系イギリス人だ。実は彼の前作『ハンガー』(カンヌ映画祭のカメラ・ドールも受賞した傑作だが、日本では東京国際映画祭でしか上映されていない)は、1981年サッチャー政権下に、北アイルランド政治犯刑務所で起こったIRA暫定派収容者たちのハンガー・ストライキ事件を描いた作品。しかもそのリーダー格で餓死したボビー・サンズを演じたのは、本作のブランドン役マイケル・ファスベンダーだ。そうなると、どうにもこれと関連づけずにいられなくなるではないか。
そうなるとこの映画のタイトルも気にかかる。ふたりはいったい何を「恥じ」ているのだろう? 自らの身体を、心を苛んでまで、どんな「恥」をひた隠しにしているのだろう。映画は具体的なことは何も語らない。だが言語を超えた痛みと虚しさはしっかりと観るものの胸に届く。映画というものは、それでいいんじゃないか?......硬質ではあるが抒情性も忘れないキャメラと音楽(ショーン・ボビット&イアン・ニール)。シシー(演じるは『17歳の肖像』『わたしを離さないで』『ドライヴ』のキャリー・マリガン!)が歌う、とことんスロー・テンポな「ニューヨーク・ニューヨーク」。そして、妹の歌にひそかに涙する兄の姿があれば。
text: Milkman Saito
SHAME −シェイム−
監督: スティーヴ・マックィーン
脚本: スティーヴ・マックィーン、アビ・モーガン
キャスト: マイケル・ファスベンダー、キャリー・マリガン
提供・配給: ギャガ
原題: Shame/2011年/イギリス映画/101分/
本作はR-18+です。18歳未満の方はご鑑賞いただけません。
シネクイント、シネマスクエアとうきゅう他、全国公開中
© 2011 New Amsterdam Film Limited, Channel Four TelevisionCorporation and The British Film Institute