13 10/31 UPDATE
おおよそ戦後の15年間、パリのカルチャー・シーンを生き急ぐように駆け抜けた奇矯な男がいた。ジャズ・トランペッター、歌手、作曲家、詩人、翻訳家、そして小説家......。1959年、自作の最初の映画化である『墓に唾をかけろ』の試写中に心臓発作を起こし、39歳で夭折したボリス・ヴィアンである。もちろん本作は、「現代の恋愛小説中もっとも悲痛な作品」と謂われた彼の代表作、三度目の映画化だ。
親の残した財産で高等遊民的生活を送るコラン(『猫が行方不明』『タイピスト!』のロマン・デュリス)と、純真無垢な女性クロエ(『アメリ』のオドレイ・トトゥ)との夢のような出会いと幸福な結婚を描く前半。やがて肺に睡蓮の花が咲く、という奇病にとりつかれたクロエを見守り、夢が悪夢へと変貌していく後半。物語の大筋は人生の明暗をファンタスティックに凝縮したようなこの恋人たちの物語だ。だがさらに、哲学者ジャン・ソル・パルトル(これはサルトルのパロディ)全著作のコレクションに命を賭ける青年シックと彼の愛を得るために予想外の行動に走るアリーズとの破滅的な恋が描かれ、またさらにコランの料理人ニコラ(『最強のふたり』のオマール・シー)と恋人イジスの物語が絡まり、悲痛にして甘美、リアリスティックにして幻想的な青春残酷絵巻が繰り広げられる。
日本でもすでに3ヴァージョンの翻訳が出版され、ほとんど古典といってもいいほどに時代を超えて愛される「うたかたの日々」(あるいは「日々の泡」)だが、今でも古典の枠に閉じ込めるにはいささかためらう、突拍子もないアイテムやシチュエイションが連続する小説であるのは、一度でも手に取ったヒトなら納得できるはず。僕はといえば、ずいぶん前に旧訳を読んだっきりだけど、「"カクテルピアノ"だの"心臓抜き"だの、肺に睡蓮の咲く奇病だの、人間の体温で育てる銃だのが出てくる小説とはいえ、なんぼなんでも誤訳では?」と訝るような妙な表現が頻繁に出てくる記憶だけが残っていて、今回の映画は観ているあいだから終始その記憶が噴きだしまくり、家に戻るやあわてて本棚をひっくり返した次第。そう。今回の映画化はまったくもって破格の仕上がりなのだ。'68年のシャルル・ベルモン監督『うたかたの日々』、'01年の利重剛監督『クロエ』もじゅうぶん奇妙で美しい出来ではあったが(とりわけ前者)、本作の監督はあのミシェル・ゴンドリー。まあ、マトモであるわけがないわな。最初から最後まで、ほとんど素直に撮ったショットなどひとつもないくらいに、自由奔放、好き放題に遊びまくっている!......ように見える。ところがだ。
映画の冒頭、コランは朝、櫛で髪で整え、爪切りでまぶたの端を"切り取る"。デカい綿入れ細工のような「まぶた」が洗面台に落ちる。
原作を棚の奥から引っ張りだし、その箇所を読んでみる。確かに「艶のない瞼の端を斜めに切って、目つきに神秘的な輝きを与えた」と書いてある! 映画で、スケートリンクの作業員はなぜか鳩の頭だ。確かに原作に「その男は人間の首をしておらず、首は鳩になっていた」とある。水道管の中をウナギがのたつくのも、可笑しな"ビグルモア"ダンスも、コランとクロエが雲に乗るのも、部屋が音楽で丸くなるのも、クロエの顔に差し込んだ直射日光をコランがひねってどけるのも、薬製造機がなぜかウサギなのも、なにかの暗喩とかじゃなく、ヴィアンが文字にしたことそのまんま描いているのだ!
それをゴンドリーは、ビョークのPV撮ってたころからのファンにはおなじみの人間ぽいクルマや、『恋愛睡眠のすすめ』『僕らのミライへ逆回転』等で炸裂してたクラフトマンシップばりばりのストップモーション・アニメーションを駆使して図像化しまくる。コランとクロエにずっと寄り添うハツカネズミも、役者がパントマイムで演じてちっちゃくデジタル合成されているのだが、それもわざと多重露光っぽいズレや透かしを作ってアナログな仕上がりに。ま、正直、「原作に忠実」なのも度が過ぎて、あちこちで「超訳」っぷりを披露、凝りに凝りすぎて観ていてとても疲れるのであるが(笑)、これぞボリス・ヴィアンの洒落っ気とこだわり、そして沈痛と絶望をまっとうに捉えた映画化と認めるしかない。
ちなみに、原作に横溢するデューク・エリントンへのこだわりもそのまんま。本人のフィルム・クリップも挟まれはするけれど、さらに幻として現れるデュークを演じるのは、なんとオーガスト・ダーネル、あのキッド・クレオールなのだぁっ!......でも言われなきゃ判らんぞ。声のしゃがれが増しただけでなく、エリントンぽく老けメイクを施しているから。ただし...「ムード・インディゴ」はかかりません。なんでも英語訳の、あるヴァージョンがこのタイトルになってるんだってさ。
text: Milkman Saito
「ムード・インディゴ~うたかたの日々~」
監督・脚本:ミシェル・ゴンドリー、原作:ボリス・ヴィアン、撮影:クリストフ・ボーカルヌ、キャスト:ロマン・デュリス、オドレイ・トトゥ、オマール・シー、ガド・エルマレ
原題:L'ecume des jours
製作年:2013年
製作国:フランス
上映時間:2時間11分
配給:ファントム・フィルム
新宿バルト9、シネマライズほかで順次公開中
http://moodindigo-movie.com/
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