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その男は、風とともに現れる。
凧が空に舞うある日、少女は母が別れを告げた愛人であるその男と初めて会った。カフェテラスでバナナパフェを頼む、その優しげな男と会ったのはそれが最後。
でも。
その少女・みなみが15歳になり、学校から帰って大きなおにぎりをパクつき、庭の植物に水を撒いていた時。いきなり強い風が吹いて軒の風鈴がチリリン、と鳴った。食卓にモヤッと白い影がゆらいで現れたのはあの男。母の元カレだったニシノユキヒコ。どうやら彼は幽霊らしい。でも喋りもするし水も飲むし眠りもする。一晩、みなみの部屋に泊まって翌朝、ニシノはみなみと海岸列車に乗る。
着いたのは小高い場所にある霊園。そこではニシノ自身のお葬式が行われている。参列者は女、女、女......。もちろんみなみの母の顔もある。妙なブラスバンドが、てんで合わないメロディを奏でるヘンな空間。みなみはあまりの空腹に立ちくらむ。......と、飴ちゃんを差し出す妙齢の婦人。彼女はニシノをよく知りながらもセックスの関係は結ばなかったという稀有な女性だ。みなみは彼女からニシノをめぐる女たちの話を聞くことになる......。
『犬猫』『人のセックスを笑うな』と、井口奈己の映画は極めて本流のセックス・コメディである。つまりヤるヤらないの話でなく、この世はすべからく男と女......ジェンダーの闘争であるという意味で。しかし本作のように、ひとりのオトコを核とした女たちの世界を描くという構造は初めてである。
しかし「核」たるべきニシノユキヒコは、どうも実体がはっきりしない。やたら女性には好かれるんだけれど、同次元で犬や猫にもやたら好かれる。見かけはいいし、仕事もソツなくこなす。女性には優しいし、肉体関係に事欠かない。でも仕事もセックスもどこか真剣にのめりこむ、というふうがない。やたらと寝るくせに飄々としていて、女たちの欲望はひょっとすると本人よりも先に察しているのに、つけこむことなど微塵もなくノンシャラン。平等に優しく、平等に魅惑的で、平等に淫ら。いわゆる"肉食系"とは程遠いのに結果的にそうなっている感じ。むしろ、彼との関係を求めるようになる女たちのほうがよほど肉食的だ。ニシノはいってみれば、彼女たちの内に眠った欲望をさらけ出させる「装置」のような存在なのである。
ニシノより三歳上の上司だけど、髪を手で直されただけでポッとなり、そこから彼の事が気になって仕方なくなるマナミ(尾野真千子)。もう別れているのに未練たらたらの小悪魔カノコ(本田翼)。ニシノのマンションの隣室に同居している、限りなくレズビアンの匂いが濃厚な女性・タマ&昴(木村文乃&成海璃子)。そしてみなみの母親で、今は他の男のもとに奔っているらしい夏美(麻生久美子)。
それぞれのエピソードも面白いが、すべて「物語られる」というよりも、視覚的な描写(おもにワンシーンワンカットのロング・テイク)で感情を読ませるのが井口奈己の映画的才能だ。さりげなくリップを直したり、ブラの紐を気にしたりしはじめることで、モヤモヤした欲情の昂まりを示し、やがて観てるほうが恥ずかしくなるようなオフィスでのじゃれあいシーンへと繋げるマナミのシークエンス。別れたくせに温泉旅行へ行き、セックスに誘うもすげなく断られ、それでもなお誘惑にかかるカノコのあっけらかんとした粘着ぶり。
そしてニシノの部屋で、今カノ・マナミと元カノ・カノコが偶然かちあったことで勃発する、滑稽かつ恐ろしすぎる女のバトル。あるいは猫のように奔放で自由な昴(ポーズもまんま猫だ) が徐々にニシノになついていくのに動揺しつつ、ニシノの温もりと匂いのあるクッションを思わず抱きしめてしまうタマを捉える一瞬。
そんな女たちのセックスを、この映画に出てくる女のなかでニシノと肉体関係のない稀有な女性......栄養スープの講習会で出会ったちょいと年配のサユリ(阿川佐和子)が、まだ男女の機微など判らぬみなみ(中村ゆりか、爽やかな初々しさ全開!)に語り伝える、という構成。これがニシノユキヒコという男の妖精っぽさを増強し、摑みどころのない不定形ぶりをより強調する。実体があるのかどうかも判らない、まさに風のような存在。
風、といえば僕は、市川崑の『黒い十人の女』('61)に登場する。女の絶えないTVプロデューサー、その名も風さん(船越英二)を思い出す。あの映画も風をとりまく女だけに実体があって、中心にいる風は無に近い。女たちに殺されかけもするけれど、みんな実はそれほど恨んではいないし、遊ばれた風にも思っていないのだ......彼らのせいで自殺して幽霊になった女(宮城まり子)さえも。
まさに本作は「ニシノユキヒコをめぐる六人の女(+1)」といえる。ニシノはやがて何も悟らぬまま空(くう)に消えていく。そんなニシノを演じるのは竹野内豊。風貌といい、声質といい、セクシーでチャーミングなのにどこか頼りない、もうニシノユキヒコそのものなのだ。
text: Milkman Saito
監督・編集:井口奈己
原作:川上弘美
キャスト:竹野内 豊、尾野真千子、成海璃子、木村文乃、本田 翼、麻生久美子、阿川佐和子
制作年:2014年
制作国:日本
上映時間:2時間2分
配給:東宝
http://nishinoyukihiko.com
全国東宝系ロードショー中
©2014「ニシノユキヒコの恋と冒険」製作委員会