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映画の回想シーンは、過去の再現映像となる。当たり前のことだと言われそうだが、人間の〈記憶〉との決定的な違いでもある。我々が頭の中で失った人を思い返すとき、思い出を蓄えた脳のシナプスが、もはや二度と見ることのない人のおぼろな姿を喚起させる。それはただ脳裏だけで起こる出来事だが、映画は映像でそれを見せてしまう。だから、「今いるこの部屋で、ベッドに腰掛けた彼と話した」記憶を我々は目撃し、現実の今となった瞬間、もはや空虚な誰もいない部屋を見て、それが回想であったことを愕然と悟る。亡くなった人にまつわる人間の記憶と、映画の記憶は、後者の方が生々しいだけにむごい。
ロンドンに住む初老の女性、カンボジア系中国人のジュン(チェン・ペイペイ)。夫もすでに亡くした彼女は、息子のカイ(アンドリュー・レオン)と一緒に暮らしたかったが、カイは友人のリチャード(ベン・ウィショー)と同居していたため、ジュンの住むスペースはなく、介護ホームで暮らしている。それでも、長く海外で暮らしながらも英語を覚えようとしなかったジュンは、息子のカイが訪ねてくることだけが楽しみだった。
息子を亡くした女性と、恋人を失った青年。ジュンは友達のくせに居座って、母親の居住地を奪ったリチャードを毛嫌いしている。しかしリチャードは、カイこそが母との同居を嫌って、介護ホームに入れたことを切り出せない。そして、彼女の息子がゲイであったことも。
ジュンの激しい気性には驚かされる。言葉が通じない国で、彼女はカイに頼りきって暮らしていたため、彼女の身を案じたリチャードが、北京語と英語を話せる女性ヴァン(ナオミ・クリスティ)を伴ってジュンを訪ねる。だが、ジュンはリチャードにイヤミを言い続け、リチャードはカイの秘密を守るためにひたすら萎縮するしかない。彼女の孤独を癒そうと、リチャードたちが介護ホームでジュンに気があるアラン(ピーター・ボウルズ)とのデートをセッティングしても、最初はうまくいっていたのに、ヴァンが不満を克服してこそカップルになれると信じて本音を促したとたん、ジュンはアランに言われた言葉でキレて縁を切ってしまう。
だが、この頑固さこそがジュンの個性であり、彼女がそれを貫くために〈孤独〉を受け入れるつもりでいることは、尊重しなければいけないのだ。彼女の愛は、人生における類い稀な宝石のようなものであり、すぐさま代替がきく存在ではない。夫や息子を失ったからといって、望まないものをあてがおうとするのは、愛と孤独で成り立っている凛とした彼女への、無用な押し付けでしかない。
リチャードがジュンに対して必死になるのは、カイに代わって本懐を遂げる目的もありつつ、彼自身もその作業で抉られるような愛の喪失を埋めようとしているのだろう。回想のなかでカイと見つめあい、ジュンの前でうなだれるベン・ウィショーの可憐さ。この映画は芯の強いチェン・ペイペイと、華奢なベン・ウィショーという顔合わせの奇跡が見事なバランスを生んでいる。
text: Yaeko Mana
『追憶と、踊りながら』
監督・脚本:ホン・カウ
製作:ドミニク・ブキャナン
キャスト:ベン・ウィショー/チェン・ペイペイ/アンドリュー・レオン/モーバン・クリスティ/ナオミ・クリスティ
配給:ムヴィオラ
新宿武蔵野館、シネマ・ジャック&ベティほかにて全国順次公開中
http://www.moviola.jp/tsuioku/
©LILTING PRODUCTION LIMITED / DOMINIC BUCHANAN PRODUCTIONS / FILM LONDON 2014