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監督は2作目の『父の秘密』で世界に名を知られることになった、メキシコの新鋭ミシェル・フランコ。『父の秘密』は相当なイヤミスで、神経に触る描写の丹念さや、主人公が向かっていく暴力と虚無感が圧倒的だった。本作では主人公にティム・ロスを迎え、編集も短めにし、見やすさは格段に上がっている。
映画は無言のまま、デヴィッド(ティム・ロス)の謎めいた日常の断片を追っていく。痩せ細り、口をきく気力もない若い女性を入浴させ、家族らしき人々に面会させる。そして葬儀。彼は重篤な末期症状の患者をケアする看護師だった。だが、彼は患者に思い入れを持ちすぎるらしく、ケアする患者の経歴を家族のようになぞったりする。
冒頭の、デヴィッドが若い女性を車で尾行するカットなど、スリラーのような描写が不安を呼び覚ます。関係ないが、フランコの車窓から外の車を追うカットは、前作に引き続いて抜群に良い。この無説明な尾行など、会話の端々から、徐々にデヴィッドの過去も透けて見えてくる。だが基本的に会話は後から説明的に若干施されるだけで、いま目の前で生じている出来事から、観客は状況を掴んでいくことが重要となる。
デヴィッドは患者と、仕事とプライベートの区別なく寄り添い、空き時間にはジムやジョギングでトレーニングをするだけの毎日で、友達はいない。家族も諸々の事情で長らく疎遠になっている。だから、彼は末期の患者に対して親身になって接するが、無口なうえ、患者との関係について家族を装った虚言癖もあるため、観客に常に不安を感じさせる。監督のミシェル・フランコの独特のスリラーめいたタッチも、心のつながりといった優しさは感じさせず、人間関係などあっという間に断ち切るような冷たい硬質さを貫く。
孤独死した人々を丁重に見送ろうとする閑職の男を描いた、『おみおくりの作法』(13年)という映画と対比させると、興味深い点がよりわかりやすいと思う。『或る終焉』は、最初から最後までデヴィッドの日常を描くが、彼の幸福になる権利にも、ならない権利にも、映画はまったく関心がない。ただ、過去の心の傷によって、患者のケアに無言で深く関わる男を描くだけだ。ガンやエイズの末期の症状を患う患者の、生々しく即物的な苦痛の描写も、「良いお話」から本作を遠ざけているだろう。
死との葛藤という激しい現場を描きながら、淡々とした静謐な演出も、生死の神聖さよりもヒリヒリとした現実性をもたらす。この乾いた感触が、個人的にはとても癖になる好ましさだ。
text: Yaeko Mana
『或る終焉』
監督:ミシェル・フランコ
製作:ミシェル・フランコ
製作総指揮:ティム・ロス
脚本:ミシェル・フランコ
撮影:イヴ・カープ
出演:ティム・ロス/サラ・サザーランド/ロビン・バートレット/マイケル・クリストファー/デビッド・ダストマルチャン
配給:エスパース・サロウ
2016年5月28日(土)よりBunkamuraル・シネマほか全国順次公開
http://chronic.espace-sarou.com/
© Lucía Films-Videocine-Stromboli Films-Vamonos Films-2015 © Crédit photo © Gregory Smit