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text:Yoshio Suzuki
NYの小さなアパートに暮らす、アートコレクター夫婦のドキュメンタリー映画『ハーブ&ドロシー』が公開された。
数々のアート特集を手がけた元BRUTUS副編集長であり、また国内外のアーティストとも親交の深い編集者、
鈴木芳雄が語る『ハーブ&ドロシー』に隠されたメッセージとは。
『ハーブ&ドロシー』が渋谷・イメージフォーラムで公開された土曜日と翌日曜日。すべての会が満席で、立ち見の人もいた。エンドロールでは拍手が鳴り止まなかった。感激で泣いている人もいる。ハーブとドロシーみたいな人が本当にいたんだ。地球の裏側にだけど。あの世界一の大都会にだけど。
目立たない郵便局職員と図書館司書の夫婦がつましい生活をしながら、自分の目と足を使って、こつこつ現代アート作品を集めた。その中には、クリストとジャンヌ=クロード、ジュリアン・シュナーベル、ジェフ・クーンズ、ソル・ルウィットの作品まである。やがてそれは国立美術館の学芸員を驚愕させる作品群になり、最後にはそのコレクションすべてを美術館に寄付してしまうことになるというアンビリーヴァブルなストーリーが、誰をも感動させた。
だけど、ちょっと押さえておきたいのは、この映画は「よし、僕もサラリーマンだけど、すごいアートコレクターになってやるぞ」とか、「OLやってたって、アートを集めて、いつか美術館にコレクションを寄贈して、壁に名前を刻んで見せる」と誓うためのものではないよね。
たとえば、『セックス・アンド・ザ・シティ』(テレビ:1998年〜、映画:2008年〜)を見て、主人公たち的な成功を目指そうという都会の女たちはもちろん多いと思うし、あるいは『プラダを着た悪魔』(2006年)とか、『ファッションが教えてくれること』(2009年)を見たあと、私も「アナ・ウィンターのようになる!」と誓う「働きマン」たちは当然いるだろう。少なくとも、元気や勇気を高める薬になっている。
アナ・ウィンターがどう評価するか、誌面でどう扱うかでそのシーズンのコレクションの成功か否かが決まる…、彼女が『VOGUE』で取り上げたアイテムは増産しておかねばならない…なんて話を聞いたとき、編集者という同業の僕自身もそれを自分の仕事に置き換えて、雑誌『ブルータス』がその美術展やアーティストを大きく取り上げれば、その美術展やアーティストは有名になるお墨付きをもらったようなものだ、という伝説を作れるように、頑張っていた時期があるし、実際、美術関係者たちは、成功を目指して現在も力を込めて売り込みに来てくれる。
だけど、『ハーブ&ドロシー』の場合は『SATC』や『プラダを〜』や『ファッションが〜』とは全然違って、観客たちが映画を見たあとに立てる目標も感動の理由もそこじゃないんだな。
みんな彼らの純粋さとか、一途にものごとを成し遂げる姿を見て、自分がいつのまにか忘れてきてしまったものや置きざりにしてきてしまったもののことを考え、思い出してる。知らないうちに置いてきたものもあるし、わかっていながら、わざと忘れたことにして、それで解決としたこと。そういううしろめたさがあるだけに、ちょっと襟を正してしまう。
ハーブとドロシーみたいにはなかなかいられない。誰だって、子どもの頃には持っていた純粋な気持ちはだんだん失ってくるし、志は折れてくるし、自分を悩ますいろいろなことを世の中とか、他人とか、政治のせいにしてしまう。
日々の生活や仕事の中では、そういうことはある程度仕方ないものだとするしかない。生きていくのはそういうことかもしれないし、そうやって前に(死に!)進んで行くんだからね。